「法王を殺す」
 「うん。………………え?」
 暗い路地に二人きりになった途端、シンの口から目的が告げられた。耳に入ったその高くも低くも無い声を、まだ音としてしか認識しない間に返事をしてしまったジズは意味を理解するのに少しかかった。
 「法王を、殺す。暗殺だ」
 相手はご丁寧に言い直してくれる。
 「はあ……暗殺ねえ。物騒だなあ」
 「迷惑を掛けろと言ったのはお前だ。ここで引くなら、死んでもらう」
 短剣に手を掛けるシンを「まあまあ」と諌めながら、考える。
 (ここで引いたら殺すか殺されるかしなきゃなんないなあ。でもソレはヤだし。って言って引き受けても……巧くいくはずがないんだよなあ)
 しかし考えるのと決定事項は別だ。乗りかかった船、ではなく無理やり乗り込んだ船だ。降りる気はさらさら無い。
 「OK、じゃあ計画を立てようか」
 にっこり、と満開の笑顔で応じると、相手はやや呆れたような顔をした。
 「本当に……いや、くどいな。では、宜しく頼む」
 そして差し出された手を握り返し、ジズは内心してやった、と笑う。これでまたしばらくは退屈せずに済みそうだ。
 ―――それが「しばらく」どころでなくなるのを、まだ彼が知る由はない―――


 「……」
 「なあ、そんな露骨に嫌な顔するなよ」
 「嫌だから仕方あるまい」
 ここは宿屋の一室。見るからに不機嫌なシンと、その対処に困るジズが向かい合っていた。シンは何が何でも別々の部屋を取ろうとしたのだが、生憎一室しか空いていなかったのである。散々二部屋空いている宿を探して最後に流れ着いた所なので、もう希望はない。
 「イイじゃないか。一人部屋をそれぞれ取るより安く済むし」
 「そういう問題ではない」
 「じゃあ、どういう問題?」
 「……」
 シンはぷい、と顔を背ける。
 「別に取って喰ったりしないのに」
 「信用できん」
 「って、俺にそんな趣味無いってば!」
 「……」
 じろり、とこちらを睨む蒼い瞳を見て、ジズは何かがおかしいと感じ始めた。そしてある可能性に気付いてしまい……
 「……え、と……あ〜……もしかしてだがね、ええと……君。その、なんだ、だから……もしかして、その……」
 「何だ」
 「ええと……女の子?」
 精一杯の勇気で聞いてみたジズだったが、シンはあっさりと応えた。
 「見れば分かるだろう」
 「……」
 分からない、分からないよ全然、という彼の心の叫びに気付くこともなく、何処から見ても「美少年」な「彼女」は自分の荷物をベッドの上に放り投げた。
 「まあ良い。何故かよく間違えられるし……利用している部分もあるからな」
 ベッドに腰掛けるシンをまじまじと観察してしまうジズだったが、どうしても「美少年」にしか思えない。いや、着ているものや言動をどうにかすればそれはそれはキリリとした美少女かもしれないが、その野性味というか鋭さが、性別を逆に見せる。ついでにいうならあまりにスレンダー……正直に言えば「ぺったんこ」なのでその点からも。
 「ええと……じゃあ、そうだな、どうしようか……」
 「こうなった以上どうしようもあるまい。気は進まんが、お前さえ紳士的に振舞えば構わん」
 「それは自信ない。……じゃなくて!いや、その、う〜ん……」
 ここで断っておくが、ジズは決して奥手ではない。むしろ「美人大好きグラマー最高!」な、色も恋も数多くこなしてきた大人である。しかし、このような事態には意外と弱いらしい。
 対するシンは、色も恋も知らない子供だが、いざという時は相手を殺して身を守れば良いと物騒に開き直ったようだ。それに見る限り、相手は自分に危害を加える様子は無い。これも直感だ。
 「とりあえず、計画を立てよう。我はこの辺りの地理を全く知らんのだ」
 「あ、うん、じゃあ教会の周りから……」
 いつまでもうろたえていてもらっても困るので、シンは助け舟を出すことにした。ジズもありがたく乗る。

 それから数日、二人は法王の住む宮殿と、それに繋がる教会周辺の地理を確認し、具体的な日程や方法を相談したり下見をしたり、を繰り返した。シンは話していて気付いたが、このジズという男、自分でも言っていたように相当場慣れしているようだ。これは良い拾い物だったかもしれない。
 とりあえず、シンの貞操もジズの命も無事だったので、お互いにちょっとした信頼が芽生えていた。
 「うん、今日はここまでにしようか。明日また下見に行こう」
 「ああ」
 ある日のだいぶ夜も更けてきた頃、やっと一段落着いてベッドに大の字に転がるジズは、天井を見ながら何気なく疑問を口にした。
 「なあシン。何で、法王を消したいんだ?」
 「……」
 予想通り、相手は押し黙っている。
 「じゃあ、別の質問。君、幾つ?」
 気が付けば、そんなことすら訊いていなかった。この質問には素直に返事が返ってくる。
 「16。じき17になる」
 「へえ〜。若いのに大変だな。旅は長い?」
 「2年ほど」
 「うんうん」
 気が付けばいつも情報を与えてばかりの気がして少し癪だったので、シンも聞き返すことにした。
 「お前は?」
 「ん……忘れたなあ」
 「とぼけるな」
 「ははは」
 結局はぐらかされる。益々もって癪だった。
 「……旅は、長いぞ。昔、西で君達の民族に逢ったことがある」
 不意に、ジズが天井を見たまま話し始めた。
 「確か、遊牧の民だったね?」
 「……ああ」
 シンの脳裏に懐かしい光景が浮かぶ。一面の緑に、白い家畜。褐色の肌に銀の髪をもつ、強く優しく、美しい人々。伸びやかに響き渡る流麗な歌声……
 彼女が故郷に想いを馳せているのを考慮してか、少し置いてからまたジズは口を開く。
 「家畜の毛で綺麗な織物を織って、本当にときたま、街で売ったりもするんだよね。その時に逢ったんだ。皆美人で……でも見かけに寄らず年寄りも多いんだっけ?」
 「我らは、成人すると体の成長は止まる。環境に適応する為には、幼すぎず老いすぎず、出来上がった身体でなくては厳しいから」
 「うんうん」
 そのような特性をもつ民族を、シンは他に知らない。もっと厳しい環境で暮らす民族でさえ、一般的な民族と同じように歳とともに老い、そして環境の厳しさに反比例して短い寿命をもつ。しかし彼女の民族は
 「すっごく長生きだよね?200年くらいだったっけ?」
 他の民族の各平均寿命が50〜75年ということを考慮すれば、それは有り得ない長さであった。
 「……大陸で一番長寿だと聞いた。だが、それが何だ……!殺されれば、意味は無いではないか!」
 はっ、と気付きシンはまた押し黙った。ジズは静かに続ける。
 「俺が最後に逢ったのは、10年くらい前だったな。とても可愛くて人懐っこい女の子が居てね。今は丁度、君くらいじゃないかな?」
 「……その子は、もう居ない」
 「……」
 「……我以外、もう、誰も……」
 何時の間にかジズの知りたい事にすべて答えを与えてしまっているようだが、それもどうでもよかった。心の奥でずっと独りで抱え込んでいたものを、実は誰かに吐露したかったのかもしれない。
 「それは……」
 云い澱むジズだが、ある程度予想はついていた。シンの民族については、その存在を知らない者や、伝説上の民族と思っている者さえ数多く居る。他民族と遭遇する確率の低い民族だが、それ故に出逢った旅人たちは酒場や街道で、誇らしげに彼らの話をする。ただでさえ滅多にないその目撃情報が、ここ最近……丁度2年程前から、ぱったりと途絶えていた。
 「滅んだ……いや、滅ぼされたのだ」
 冷静に語ってはいるが、その瞳の中で燃える焔はどこまでも蒼く、冷たい。
 「法王が、やったのか?」
 「ああ。法王の私設軍だった」
 「でも、何で?」
 「それは……我らが、邪魔だったのだ」
 「君達が?」
 一度話そうという気になると、素直に口は開く。一言話す度に、楽になっていく。
 「エルレス教の聖典を、知っているか?」
 「詳しく読んだことはナイけど」
 「神から受け取った訓辞とされているが、あれは、元々は我らの御伽噺だった。各地を旅し、そこで見たものや聞いたものを教訓交じりに子供たちに教える、ただの話だったのだ」
 「へえ……」
 「確かに、その中にも『神』というものは度々出てくる。だが、その正体の多くは旅の途中で出逢った他の民族の旅人だ。彼らの話を神の話として語る……教訓を子供に話す時に大人が使う、常套手段であろう?」
 ジズは頷く。お布施を騙し取る偽宣教師もやる手だね。いや、それだけじゃないな。誰かに云う事をきかせたいとき、誰だってより大きなモノの名を借りたがるもんね。
 シンの話は続く。
 「……法王は、聖典の成り立ちにつき、世に暴露されるのを嫌った。誰も信じぬやもしれんが、宗教の根源を覆す話ではあったから。故に、我らは……」
 黙りこむ彼女を気遣わしげに見やり、ジズは暫く間を置いて話し始めた。
 「でも、さ……恨みに生きるのって、ツラくない?あいつを殺したところで、死んだ人たちも帰ってこないし、それに……君自身が、どうなる?」
 「すっきりする」
 即答。
 「……はぁ、そうきましたか……」
 自分はイマイチ、この「シン」という人間の性格が掴めていないようだ……とジズは思った。
 「何を言おうと、決めたことだ。我は、死んだ我ら一族を……幼かった弟を、忘れん。我の怒りもだ」
 「ううん……」
 少し間を置いて、シンは俯きながら口を開いた。
 「分かっている……つもりだ。復讐したところでどうにもならん。優しかった我が一族も、望んではいないだろう。運良く成功しても一生追われるし、捕まれば死ぬ。いずれにせよ平穏には暮らせぬ。だが……どうしようも、ないのだ……!!」
 重苦しい沈黙が続いた。それを破ったのは、ジズの方だった。
 「ね、この街ってさ、大きいよね」
 「……ああ」
 「でもね、俺が初めて来た頃には、まだあの教会もなくて、一面ずっと田んぼだったんだ。真ん中に一軒、小さな家があってね。気の善いおじさんとおばさんが居て、美味しいスープをご馳走してくれた。くず野菜とミルクのスープだったけど、ホントに美味しかったなあ」
 「……」
 「でも、何時の間にかこの街にも人が増えて、教会が建って、エルレス教一色になって。おじさんとおばさんは、何処かに行っちゃった」
 「……何が言いたい?」
 「いや、ね?人が色々したって、何があったって、時間が経つと何にも残らないなあ、って思ってさ。歴史ってのに残るのは、どこかてっぺんにいる人たちだけで、俺がお世話になったおじさんとおばさんとかは、俺みたいな人の記憶にしか残らないんだよね」
 「……」
 口調は何時もと変わらない。だが、その瞳は、何時もよりずっと深遠で底が知れない輝きを宿している……じっと見つめるシンに気付いてか、
 「ええと、何を言いたかったのか忘れちゃったよ。でも、ま、もし失敗して君が死んでも、俺は覚えといてあげるから」
 いつもの明るい笑顔を浮かべる。どことなく、誤魔化したような感がないでもない。
 まあ、何時ものことか。
 「……お前は死なない予定なんだな」
 「当然」
 「……ふっ。なら、我も死なん。お前が生きるというのに、我が死んでは示しがつかん」
 「……どういう意味?」
 「そういう意味だ」
 そして微笑むと、シンはベッドに横たわった。
 「では、我は寝る。また明日」
 「はいはい、おやすみ」
 直後に寝息がたつのを確認して、ジズは苦笑した。健やかなお子様だ。
 「……永い目で見ると、君の一族が殺されたことも、この計画も、ちっぽけなモノなんだがな……」
 ぽつりと呟いて、彼も目を閉じた。明日も、忙しくなりそうだ。

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