インチェに着くまでに二日近くかかる。その間、シンたちは客の身分に甘んじることなく、砂族の手伝いをすることにした。リディウスも、犯罪者である彼らの手伝いを迷うことはなかった。助け合いはエルレス教の基本だ。彼に自覚はないが、そう思えるようになった辺り、だいぶ柔軟になってきたのだろう。
 ジズとリディウスがちょこまかと働く一方、如何せん戦闘要員としてしか活躍できないシンは、主にギルバや砂族の長老たちの話を聞くことが仕事になっていた。元々、人の話を聞くことは嫌いではない。長老たちの長い長い昔話にじっと耳を傾け、砂族たちの武勇伝を聞き、ギルバの何気ない会話に付き合った。ほんの短い時間しか共有していなのだが、どことなく通じるものがあるのだろう、彼女と族長は互いを友と認め合っていた。
 勿論、それを面白く思わない男が居る。
 「む〜……」
 当然、ジズだ。
 「どうしたの?」
 「あの野生動物、俺には懐いてくれないのにさ」
 後ろからやってきたラシャに顔を向けることもなく、彼は溜め息をついた。ラシャがその視線の先に目を遣ると、シンとギルバが書物を開いて何やら話し込んでいる。兵法書の類だろう。
 「あら、そう?少なくとも噛み付かない程度には懐いてるように見えるけど?」
 「え、ホント?」
 男はぱっと笑顔になるが、
 「噛み付かないだけで我慢してるのかもしれないけど」
 「……」
 暫く色々反芻した後、また溜め息をついた。思い当たる節はあるらしい。
 「あ、ジズさん、ラシャさん!」
 そこに現れたのは、リディウス。洗濯物を腕いっぱいに抱えている。
 「もうちょっとしたら皆でお茶にしましょう、ってお誘いがありましたよ。大広間だそうです」
 「うん、了解。ありがとね」
 「はい。ではまた後で」
 少年は微笑むと、同じように洗濯物を抱える女たちの後ろをよたよたとついていった。母鳥についていく雛のようだ。見送りながら、ジズもラシャも思わず笑顔になってしまっている。
 「こっちの小動物はすっかり懐いてるじゃない」
 「えへへ」
 それで機嫌は直ったらしい。男は元気良く伸びをすると、何時もの笑顔でラシャに向き直った。
 「ね、何か手伝わせてよ。ヒマで死んじゃうからね」

 砂漠の町・インチェ。砂漠の中という厳しい環境にも関わらず、物と人が集まる場所。
 「ん〜、久しぶり!この町、変わらないなあ」
 その町に降り立って、ジズはくるりと踵を返した。彼の笑顔の先には、無表情な娘と、町の雰囲気に圧倒されている少年。
 「ね、折角三人で歩けるんだから、一緒に買い物しようよ」
 町の中では砂族の面々とは別行動を取ることにしていた。久々にこの二人を独り占めできることで、ジズの機嫌はすこぶる良い。
 「は、はい」
 「その前に荷物を取りに行きたい」
 シンの言葉に、ジズは密かに喜んだ。「その前に」、ということは、彼女も買い物に付き合ってくれるらしい。
 「じゃあ預かり所に行こ!こっちだな」
 久々にも関わらず、男は自分の庭のように町を歩く。日陰の小道から入って地下に降りれば怪しい酒場があることも、織物を売る店の看板娘が四代目であることも、雑貨屋の主人は情報も売ってくれることだって知っている。迷うことなく預かり所に到着した。
 「少し待っていてくれ」
 そう言い残してシンは店に入ると、程なくして大きな袋を一つ、背負って出てきた。相変わらず行動が素早い。
 「待たせた」
 「いえ、全然待ってませんよ。何か大切な物ですか?」
 「ああ。我ながら、未練がましくてな」
 「え?」
 リディウスが聞き返す前に、シンはもう歩き出している。
 「ね、重くない?手伝おっか?」
 「必要ない。もうすぐ軽くなる」
 シンは目を伏せた。微妙な表情の変化を、男は見逃さない。
 「……売るの?」
 シンは、ここに預けてあるものは一族の装飾品や織物だと言っていた。今となっては、形見の品であるはず。
 「ああ」
 どうせいつまでも持っていけはしない。自分もいつ死ぬともしれない。それでも持っていたのは、単なる未練だ。ならば……
 「それには及ばないよ」
 決心する娘の横で、男は笑った。
 「ここを何処だと思ってる?俺たちお尋ね者のオアシスだよ?稼ごうと思えば、適当な仕事がごろごろしてるさ」
 「だが、手間が掛かろう?これを売れば良いだけの話だ」
 「やだなあ」
 今度は困ったように笑うと、ジズはシンの頭をくしゃりと撫でた。
 「流石に女のコから思い出の品を取り上げるほど、悪い男でも無粋な男でもないつもりだよ」
 「……」
 彼女がきょとんとしていると歳相応なのを確認して、彼はそっと微笑む。
 「さ、荷物運ぶの手伝うよ。それともまた預けなおす?あ、ギルバの船に置いててもらうのもアリかもね」
 「……すまない」
 彼女の中で、したばかりの決心が柔らかく融けていく。時々どうしようもないほど子供のこの男が稀に見せる、その心遣いが素直に嬉しかった。
 「違うな。謝るトコじゃない」
 「……ありがとう」
 「ん!どういたしまして」
 全開の笑顔を披露して、ジズは軽やかな足取りでシンの背中側に回り込むと荷物を支える。
 「さあさあ、行こう!ここの市場は楽しいんだ」

 実際、インチェの市場は楽しい。大陸のあらゆる場所からあらゆる品が集まる。しかも、通常の町であれば表に出せないようなものが堂々と並べられている。
 「え〜と、そうだな、こっからは防寒対策も今以上に必要だし、便利そうな道具があれば買っときたいし……」
 ジズはまともそうなことを言いながら、面白そうなモノ(飽くまで基準は彼である)を見つけると片っ端から手に取って見ている。明らかに不必要なのものまで。
 「要らぬものを手に取るな。売主に悪かろう」
 「優しいね〜。でも冷やかして廻んなきゃ!」
 「……義務なんですか?」
 「うん!」
 何の迷いもない笑顔で応える男に子供たちは絶句しながらもついてまわる。「ねえねえ、これ、綺麗!シン、似合うんじゃない?」「これ、きっと楽しいよ!」と装飾品やら訳の分からぬ玩具やらを買おうとする度に止めるのが二人の役割だった。買い物好きの女性に付き合う男性の気持ちが、今の二人にはよく分かる。いや……女性が売主の店の前ではやたらと滞留時間が長い点では、違うかもしれない。
 リディウスはそれだけでも結構気疲れしていたのだが、おまけに三人は目立っていた。追手は居ないと判断してシンはフードを被っていなかったが、美しく、しかも珍しい色彩の組み合わせをもつ彼女は当然として、雰囲気の所為で忘れそうになるが実際かなり整った顔立ちをしている男に、小さく可愛らしい少年。目立たない方がおかしい。自覚のないシンと「目立ったモン勝ち」というジズはともかく、リディウスは少し緊張していた。人の視線に晒されることに慣れていない。
 「そうだ!服!一応逃亡中だもんね、顔とか隠れるヤツ欲しいよね」
 その心中は知らないままジズが出した提案で、三人は服を見ることにした。やはりついてまわる視線を感じながらも、色とりどりの布が風に舞い、存在を主張する店に辿り着く。
 「う〜ん……いっそこの際、思いっきり目立った方が安全かも?」
 ジズはそう言うと、金銀の光沢が眩しい一着を手に取って広げた。所々に光る石の縫い込まれたそれは、明らかに踊り子が身に纏う衣装だ。露出度が高く、しかもやや透ける。
 「……着るのか?」
 訝しげに眉をひそめるシンは、男が「手に取ってみたかったから取ってみただけ」ということが分からない。
 「俺じゃないよ」
 「……我に着ろと?」
 ジズは暫くにこにことシンを見ていたが、不意に肩を落とした。
 「…………ごめん。これ、胸もお尻もないとキビシイよね……」
 「……散々な言い様だな」
 「あ、一応気にしてたんだ?ごめん」
 「別に構わぬが……そうだな、無駄な装飾が多すぎる。武器も隠して携帯できぬし、第一それでは寒かろう。却下する」
 「……ホントにごめんなさい俺が悪かったです」
 「?」
 それから度々ジズの茶々が入って時間を喰ったものの、三人はとりあえずの装備品を手に入れることができた。保温性の優れたフード付きのマントに、厚手のシャツなど。割と値は張ったが、前に獣などを売った資金、そしてジズの交渉のおかげで何とか足りた。
 「ん〜……ちょっと待ってて」
 財布の中身を確認した後、ジズは返事を聞かずに何処かへ消える。どこまでも好き勝手な男だ。仕方なく、残された二人は近くの店で休むことにした。日陰とぬるい茶をやや横暴な値で提供する店だ。

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