「たっだいま〜!ちゃんと仲良くしてた?」
 それから暫くして、大荷物を抱えたジズが戻ってきた。いつもの軽口なのは分かっているが、相手を泣かせてしまって「仲良くしてた」とは言えないシンは気まずさを感じたのか、そっぽを向いた。対し、リディウスは救世主が現れたかのように顔を輝かせる。
 「ジズさん、お帰りなさい!」
 「……やはり、戻ってきたんだな」
 そっぽを向いたまま、娘はどこかしら自嘲気味に呟いた。戻ってくることは分かっていた。彼女の直感は、滅多に外れない。
 「あ、何?二人とも、寂しかったの?俺のこと待ち遠しかった?」
 リディウスの目に見える喜びようと、シンの言葉は安堵から出たものだという勝手な妄想で、この男は勿論調子に乗る。
 シンとしては、寂しくも待ち遠しくもなかったのだが、ただ待っていたのは事実だ。だから
 「待っていた」
 と応えると、何を勘違いしたのか
 「シン……!!」
 えらく感動している。泣き出しそうだ。
 「荷を降ろせ。分担するぞ」
 この男にまで泣かれてはたまったものじゃない。シンは寄りかかっていた木から離れると、ジズの荷物をその背から引っ剥がした。相変わらず動作は豪快だ。
 「あ、お釣もあるよ。値切ったら相当まけてくれてね」
 にこにこ笑いながらシンの手に金貨の入った小さな袋を手渡す。
 「ただいま」
 一瞬、まっすぐシンの目を見て、にやりと笑った。
 俺は、逃げないから。ていうか、逃がさないから。
 「……ああ」
 付き合わされているのは、どちらだろう。
 「そうそう、リディ。靴脱いで、足出して」
 ジズはくるりとリディウスに向き直ると、買ってきた薬と包帯を取り出した。リディウスは靴擦れも潰れたマメのことも黙っていたが、お見通しである。恐縮する少年の靴をシン並に強引に脱がせて、男は楽しそうに治療を始めた。

 ジズが買ってきたのは五日分ほどの食料と水、リディウスの靴や旅人用のマントなど装備品、応急処置のための医療品、固形燃料、それに質は悪いがなんとか寒さは防げそうな毛布三つ、等。シンは渡した資金でまさかそこまで揃うとは思わなかったのだが(と言うか、普通に考えて無理な額だったのだが)、この男はきちんと揃えてきた上に釣まで持ってきた。……どのような値切り交渉をしたのか見てみたいものだ……いや、頭が痛くなりそうなので見たく無いかもしれない。
 「あと残念だけど、もう俺たち、お尋ね者みたいだよ。正式に」
 買ってきたものを一々嬉しそうに披露していたジズだが、ふと手を止めて報告した。元々、色々と失敗して追われることが多い上に、むしろ「追われるってのがイイ男の条件だよね」とすら思っているこの男にとっては、あんまり大したことではなさそうだ。
 「うむ」
 この娘にとっても。だが
 「……」
 リディウスにとっては、この上もなく重大事だ。
 「あの……僕、も……」
 「……『黒の髪と目の若い男、銀髪の蒼い目の少年、空色の髪と目の少年』、って話だったな」
 「……」
 ああ、
 本当に、僕は法王から追われる身になってしまったんだ……
 落ち込む少年を気遣わしげに見遣るジズの横で、シンは「やはり『少年』扱いか」と複雑な心境だった。どうやら自分は本当に男に見えるらしい。しかしこの場合、おかげで間違った情報が流れているのも事実。巧く利用させてもらおう。
 ……しかしこの娘、実際にどう利用するかは考えるつもりすらなく、ジズがどうにかすると思っている。細かいことを考えるのは性に合わないのだ。
 「ま、そんな訳で、今夜は野宿だぞ!焚き火して、ご飯作って、歌って踊って語り明かして……」
 「後半からは独りでやるんだな」
 場を明るくしよう、という心遣いではなく、単に言いたいことを言っている男に冷たく釘を刺しておいて、シンは自分の分の荷物を背負った。
 「寝る場所を探そう。ここは狭い」
 そのまま歩き出す。
 「ちょっと待ってよ」
 「歩きついでに薪も拾っておけ」
 振り返りもしない。慣れたとはいえ、軽く溜め息をついてからジズも荷物を背負う。
 「はいはい、分かりました!リディ、おいで」
 「はい……」
 暗い顔で俯く少年が荷物を背負うのを手伝って、ジズは歩き出す。一応殿(しんがり)を務めるが、気分はいつだってシンのすぐ後ろに居る。そこは特等席だ。細いくせに、堂々と、何者にも屈しないぴんと張った背筋。あれを見ているのが目下のお気に入りだから。大きくなった孫を見守るおじいちゃんって、こんな感じかな、と楽しく想像する。気楽な御仁だ。
 暫くして、やや開けた場所に出た。ジズが「ここにする?」と訊く前にシンが荷物を降ろしたので、今夜の寝場所はここに決定した。さっさと火を起こし始める彼女の横で、ジズはてきぱきと食事の準備に取り掛かった。リディウスもそれを手伝う。夜の森に響く不気味な鳴き声も、ジズの底抜けに明るい鼻歌の前では何の不安も恐怖ももたらさない。リディウスはそれをありがたく思いながら目の前の作業に向き合う。作業をしていれば、深く考え込まずに済む。途中、「食料はなるべく使うな」と言い残してシンの姿が見えなくなったが、すぐに水の入った皮袋と、大きな鳥を片手に戻ってきた。無言実行。
 「わあ!やった!メインディッシュだ!」
 ジズは無邪気にはしゃぎながら投げナイフが刺さったままの鳥を受け取る。
 「ありがと。俺、育ち盛りだからさ〜。あ、水場もあったようだね」
 「小川があった」
 シンはジズが抜いたナイフを受け取り、布で拭いてローブの中に仕舞い込んだ。
 「ああ、良かった!むか〜し来た時は既に小川だったからな。もう枯れちゃったかと思ってた」
 「沐浴が出来る程度の流れはあった」
 会話しながらお互いにやるべき事を始める二人の後ろで、リディウスは鳥に祈りを捧げた。エルレス教の教えでは、ある特定の食べ物以外に禁止される食べ物はない。肉も魚も食べる。生きるために動物を殺して食べることは罪とはならない。だが、ジズが慣れた手付きで羽根をむしり、身を捌くのは直視できなかった。
 やがて、妙に手の込んだ鳥肉料理数点が並んだ。少ない調味料しかないのに、作った男の意外な特技なのか、何故か美味い。食べ盛り二人と自称・育ち盛りにかかるとあっという間になくなった。シンとしては保存食を作っておきたかったのだが、すべて平らげてしまった。まあ、ほぼ一日、何も食べずに歩き通したのだ。仕方ないだろう。
 「片付けしとくから、先に水浴びしといで」
 暫くして、子供二人の世話を楽しんでいる感のある男が提案した。久々の、しかも同伴者が居る野宿が楽しくて仕方ないらしい。先程から進んで作業をやりたがる。精神や実年齢はともかく、情緒面では一番子供かもしれない。
 「そうだな……リディウス、先に浴びてこい」
 「え、僕は後でも」
 「一緒に浴びちゃえば?」
 勿論次の瞬間、目にも止まらぬ速度でジズは頭をはたかれた。……懲りない男だ。
 (シンさん、意外と恥ずかしがりやなんだ)
 誤解している少年もいるが。
 「そこの小道を少し進め。岩があるから、そこを右だ」
 じゃあ俺と一緒に、と言いかけた男を切り返しでもう一度はたいて、シンはリディウスに小川までの道を教え、
 「何かあったら使え」
 と、ローブの中から細身のナイフを取り出して手渡した。
 「は……はい」
 ひきつった笑顔を残して、少年は夜の森を恐る恐る進んでいった。
 「なんか出てきたら叫ぶんだよ〜」
 不安になるようなことを朗らかにその背に投げかけた後、ジズはシンに微笑みかける。
 「さて、食後のお茶でも?」
 「……茶まで持っていたのか」
 「ううん。さっき買ったんだ」
 言いながらにこにこと茶を淹れる。ふわり、と芳香が漂ってきた。
 「無駄遣いを……いや、まあ、良い。たったあれだけの金でそこまで出来るとは、並大抵のことではないな」
 「あ、誉めてくれてる?」
 「一応な」
 「えへへっ、良かった!」
 幼く笑う。粗末なカップを手渡しながら、
 「店主が綺麗なお姉さんでね。あの手この手を使ってお願いしたんだ〜……色々、ね」
 決して幼くは無い告白。
 「だからちょっと遅くなっちゃった。ごめんね?心配したでしょ」
 「……」
 誉めるんじゃなかった。
 彼女の「頭が痛くなりそう」という直感はやはり外れなかった。
 「あ、考えてるほどスゴイことしてないよ?」
 「考えてなどおらん!」
 そのテの話題が好きではない娘は、ぶっきらぼうに茶をすすり始めた。流石にそれ以上続けると単なる変態オヤジだな、と思ったのか、ジズも大人しく茶を呑む。だが一口飲んだらまた色々と喋り始めた。
 「次の町はちょっと大きいから、追手も来てるかもなあ。食料とか、また俺が仕入れるよ」
 「そうだな」
 口惜しいが、ジズが一番取引は巧そうだ。それにシンは目立ちすぎるし、リディウスを独りで町に行かせたら、商売上手な辺境の商人達にカモにされるのが目に見えている。最悪、誘拐も有り得る。……実際、ある意味誘拐されている最中だ。
 「また店番が女の子だとイイな。……さて」
 呑み終わったカップを置き、ジズは片付けを始めた。だが勿論口は止まらない。

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