元気な神官見習が庭先にやってきたのは、来客たちが野犬の処理を終え、血に汚れた服を洗おうかと思っていたときだった。
 「わ……わーーー!!カッコイイ!!」
 遠慮もなく、イティは二人に近寄ってきらきらした瞳で見つめてくる。
 「初めまして、お嬢さん」
 「……」
 ずずい、と前に出るジズと、一歩退くシン。イティは二人の間に入って、笑顔のまま半ば強引に二人の手を取った。ぶんぶんと振り回す。握手、のつもりなのだろう。
 「初めまして!私、イティって言います!神官見習です!今夜お泊りになるんですよね!?嬉しいなぁ〜!滅多にお客さんとか来ないんですもの!おまけにカッコイイなんて、最高!ね、ね、旅をしてらっしゃるの?色んなトコのお話聞かせてくださいね!?」
 怒涛の喋りに、周りの子供たちすらやや呆れている。シンは只でさえ人見知りの気がある。元気すぎる彼女に戸惑うばかりだ。
 「俺はジズ・ムラサメ。こっちはシンね。ヨロシク、イティ」
 固まってしまっているシンとは対照的に、ジズは満面の笑みでイティに応える。
 「あ!犬ですか?それ?捕ってきたんですか!?」
 「ああ、うん」
 ここにいるのは全部シンが殺したんだけど、とは言わず男が応えると、無邪気な神官見習は更に目を輝かせる。
 「すっご〜い!野犬って狂暴でしょ!?強いんですね!」
 子供と同じようなノリだ。
 「ところで……ね?イティ、今俺たち解体してたから、その、ちょっと、汚れてるんだけど」
 「ああ、はい!お風呂、準備しますね!あ、服も洗うから置いてて下さい!」
 「ありがと。ていうか、そうじゃなくて。そんな俺たちとばっちり握手してる君は……」
 「あ」
 イティはやっと手を離した。その小さく白い手は、血で真っ赤になっている。
 「やだ、洗わなくちゃ!こっちにどうぞ。洗い場があるんです」
 元気な娘の笑顔に、元気な男は同じような笑顔で返し、静かな娘は溜め息を零すのだった。
 
 用意してもらった風呂に入り、替わりの服も貸してもらって、フュレイラのお見舞いも済ませ、シンたち三人がまた庭先に出たときには陽は傾きかけていた。リディウスはやはり難しそうな顔をしていたが、幼い子供たちの相手をしている間は笑顔を取り戻していた。子守りの素質があるのだろう、すっかり溶け込んでいる。彼と同じくらいの子供たちとも、楽しげに言葉を交わしている。
 「……リディ、ここにお世話になったらどうかなあ」
 その様子を見て、ジズがシンに呟いた。
 「全部終わってから迎えに来てあげるってのは、どう?」
 口調は軽いが、ある程度本気で言っている。シンはじっと足元を見つめた後、顔を上げた。
 「それも、良いのかもしれんな。リディウスが、望むのならば。……だが、ここに迷惑を掛けるのではないか?それに、無責任だろう?」
 「そっか。そうだよねえ、やっぱり」
 ふぅ、と軽く息をついて、男は足元でじゃれる小さな子供を肩に担ぎ上げた。きゃっきゃと喜ぶ子供に笑顔を向けながら、言葉を続ける。
 「もし追手が来ても、守ってやれないもんね。一緒に居るのとどっちが危険かは分からないケド、手の届く範囲でなら、まだ、どうにかできそうだもんね」
 「そうだな」
 「それに、寂しいもん」
 「そうか」
 「でも、ま、本人に訊いてみよう?ここに居れば、少なくとも心は落ち着くかもしれないし。あのコの大好きな礼拝堂、あるしね」
 ジズは「あ」、と何かに気付いたようにシンに顔を向けると、
 「ここって、18歳になるまで面倒みてくれるんだよね?君もぎりぎりお世話になれるじゃない。どう?」
 今度は完全に冗談で言っている。
 「……まあ、まだ18にはなっていないが……」
 「じゃあ俺も実は17ってことで一緒に……」
 「無理を言うな」
 「あはは。ごめ〜ん、サバ読みすぎ?」
 軽く500年ほどね。
 心の中で舌を出す男の向こうで、子供たちの声が上がった。どうやら、街に買出しに行っていた年長の子供たちが帰ってきたらしい。荷物の運搬が始まっている。
 「お手伝いにいこう」
 「ああ」
 微笑む男に連れられて、シンは得意の肉体労働へと向かった。

 カルヤは15歳の少年である。この「家」に来てから8年になるが、「家」と「家族」を大切に思う気持ちは誰にも負けないと思っている。また、身体的に成人に近くなってきたことも、保護者であるアディスやイティを体力的に上回ったことも感じている。
 だから、「家」と「家族」を守るのは、自分の務めだと確信していた。
 そんな彼が、他の数人の少年たちと街に買出しに行って帰ってきたとき。彼は己が試されているのを感じた。
 「ああ、なるほど。医薬品と衣料品ね。それに調味料か。確かに自給自足には限界があるもんなあ」
 彼より背の高い黒髪・黒目の男と、
 「口より手を動かせ」
 銀髪に蒼い目の、褐色の肌をした美しい少年、
 「何処に運べばよろしいですか?」
 空色の髪と目の、彼と同じくらいの年頃の少年。そんな、見慣れない三人が居る。
 「家族」たちは何の疑問も持っていない。何の警戒もしていない。
 だが、彼は街で知ったのだ。
 そのような特徴をもつ三人組が、反逆者として手配されているのを。
 「カルヤ?」
 後ろから「家族」の一人に声を掛けられて、彼はビクリと身を強張らせた。誰も、知らない。誰も、気付いていない。この恐ろしい現実に!
 「な、なに?」
 「それはこっちの台詞よ。どうしたの?ぼ〜っとして」
 「い、いや、なんでもないよ。疲れただけ」
 彼は反射的に「現実」を隠すことを選んだ。ここで騒いで、あのお尋ね者たちを刺激してはいけない。あの男の肩には三つになったばかりのジファが乗っている。
 この場を自分一人の力でどうにかすることは出来ない。口惜しいが、彼はまだ子供だ。そしてそれが自覚できるくらいに、彼は「大人」だ。だが、「家族」に助力を求めることも出来ない。冷静に判断して、彼より体力的に優れているものは居ない。下手に誰かに相談してパニックでも起きようものなら、「家族」を危険に晒すことになる。それだけは避けねばならない。
 だから、彼の採れる行動は一つだった。
 「俺、ちょっと街に忘れ物してきちゃったから!取りにいってくる!」
 「え、今からだと遅いわよ」
 「すぐ戻るから!!」
 彼は今来た道を猛烈な勢いで引き返した。
 街へ。早く、街へ。そして役人に報せるのだ。
 それしか、今の彼が「家族」を守る術は無い……

 小さな街の、酒場の一角。そこで男は酒を呑んでいた。白亜の美貌によく似合う、紫に艶めく黒髪。自然と人目を引くのだが、人々は一瞬で目を背ける。
 その醸し出すのは、狂気すら孕んでいるような、危うさ。目が合えば、どうなるか分からない。人々は身を守る本能で彼から目を逸らす。
 「……」
 彼はひとり静かに杯を傾ける。標的を探して、ある程度の予測を立てて東よりに移動してきたのはよいが、さて、どうするか。情報らしき情報も入ってこない。
 (追う、というのも、難しいものだ)
 相手が手強ければ、尚更。
 だがそれだけに、追い詰める瞬間はこの上もない快感を得られる。
 ましてや、標的があの男ならば―――
 愉悦の、極み。
 その悦楽を想像した彼の、紅い唇が妖しく笑みを形作る。ぞくりとするほど、艶かしい笑み。
 あの余裕に満ちた笑顔を壊したい。あの自信を崩したい。あの声を震わせたい。
 ああ、それはどれだけ……どれだけ、心地よいだろう。
 口の端から、くすり、と小さな声が漏れた。このところ、彼はずっと笑っている。一般的にはにやけが止まらない、というのだろうが、彼の場合はにやけに収まらず、笑っている。性別にかかわらず、観る者の理性を奪う、蟲惑的な笑み。見方によっては、無邪気ともいえそうな。
 さあ、追い詰めよう。
 それとも、待ち伏せるか?
 あの男が標的の中に居るのならば、遅かれ早かれ間違いなく、『あの事実』を突き止めるだろう。ならば、先回りして待っていても良さそうだ……
 彼が呑み終わった杯をテーブルに置いた瞬間、慌ただしく酒場のドアが開かれた。新しい客は、せわしなく店内を見渡し、彼の姿を認めると駆け寄ってきた。彼が騒音に眉をひそめているのにも気付かずに。
 「ああ、良かった!ここに居たんだな。新しい情報が入った」
 男は、依頼主の組織がたまに送ってくる使いだ。情報提供と、見張りを兼ねているのだろう。
 「目撃情報だ。この近くの山に……」
 一気に喋ろうとする男の目の前に、彼は刀をすらりと抜いて突きつけた。酒場が一瞬、静まる。
 「五月蝿いな。斬って捨ててやろうか?」
 静寂は続いた。男がごくりと生唾を飲み込むまで。
 「す、すまない……兎に角、情報だ」
 彼は刀を音もなく鞘に収める。男は声を落として、続きを話した。報告を聞き終えた頃、彼の口元にはまた笑みが浮かんでいた。
 「よし。では、片付けに行く。……ふふ」
 すらりと立ち上がった。絹のような黒髪がさらさらと流れる。
 話し終えて緊張の糸が切れたらしい男を残して、彼は店を出た。
 さあ、狩りの時間だ。
 シスイ・ヤオロズはその白く長い指先で愛刀を軽く撫で、夜の街に消えていった。

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