「……」
 「……」
 シスイは少女と無言で向き合っている。標的を始末した後、また建物内部を通って帰る途中だった。
 標的は人買いだった。仲間の大人たちはさっさと逃げ出したようで、建物の中には「商品」たる子供たちだけが、どうしていいか分からずに身を寄せ合っている。鎖に繋がれた者も居る。鎖に繋がれていないのは、鎖が必要でないほどに、薬や暴力で心を繋がれた子供たちだ。壊れた心をもつ、「観賞用」若しくは「愛玩用」の子供たちだ。
 美しくないな。
 シスイは眉をひそめた。子供たちの外見ではなく、彼らを買う人間の感性が、彼に言わせれば「美しくない」のだ。自分のことは棚に上げて、他人の悪趣味は気に入らない。彼が向き合っているのは、まだ鎖に繋がれている少女。年の頃は十かそこらだろう。
 彼は無言のまま、すらり、と刀を抜いた。ぼんやりとしたまま反応しない、繋がれていない子供たちと、悲鳴を上げる繋がれた子供たち。だが、目の前の少女は繋がれているのに悲鳴を上げなかった。
 少女に刃を向けたのは、他の繋がれている者に比べて感情を表さないこの者が、『壊れて』いるか否かを確かめるためだ。『壊れて』いるのなら、殺してやるつもりだった。他人の悪趣味に手を貸すつもりはなかったし、彼らも家族の元へは還れないだろう。独特かもしれないが、極稀に発露する彼なりの慈悲というものだった。勿論、『壊れて』いないのなら放っておくだけだが。
 「……!」
 少女は確かに悲鳴を上げなかった。だが、少女の目は生きていた。怯えを含みながらも、自分を映す刀身に、抵抗を示している。強い目だ。
 「……貴様は、生きていけるかもしれんな」
 シスイは薄く笑むと、刀を振り下ろした。思わず目を閉じた少女は、自分を繋ぐ鎖が断ち切られたのを感じて目を開けた。
 「行くがいい」
 少女は無言のまま急いで立ち上がると、周囲の子供たちの鎖を外そうと試みた。だが、鍵もなく、少女の小さな手では外せそうにない。それでも少女は一心不乱に鎖に取り組む。半泣きになりながらも、爪がはがれそうになりながらも。
 「……覚えておくといい」
 シスイは少女の肩を掴んで、乱暴にその場を退かせた。尻餅をつく少女を横目に見ながら、先程と同じように刀を振り下ろし、鎖を断ち切った。
 「自分で出来ないことは、出来る者を利用するのだ」
 少女は子供たちを連れて駆け出した。扉で一度だけ振り返り、
 「ありがとう」
 小さな掠れた声を、確かに発した。
 「……ふん」
 それに何の感慨を抱くでもなく、シスイは刀を収めぬまま振り返る。まだ、やることがあった。
 元々鎖に繋がれていなかった子供たちが、ぼんやりと彼を見ている。
 「次は、壊されぬように……壊れぬように生きるがいい」
 既に何の感情の色も映さなくなったはずの、幾つもの瞳が仄かに喜びを湛えた。それを彼ら以上に表情の消えた瞳で見ながら、美しい死神は刃を振るった。
 それは残酷で、厳かな光景だった。

 礼拝堂に悲鳴が響き渡る。
 リディウスの口から迸った悲鳴。
 異常を察知し、待機していた役人たちが礼拝堂に足を踏み入れた。と同時に、彼らの主導者が事切れているのを目にし、立竦む。
 「何事です!?」
 遅れて、アディスとイティが内部に入ろうとするが、
 「来るな!」
 若い男の声に叱咤されて、やはり立ち竦んだ。
 「来ちゃダメ。子供たちを守って。来させちゃダメだよ」
 ジズは言い直すと、アディスを見た。神官は死体に気が付いて一瞬だじろいだが、頷くと、その背でイティに内部を見せないようにしながら彼女を連れて食堂へ戻っていった。
 聡明な女性は大好きだよ。
 ジズは神官たちが小走りで戻っていくのを確認しながら、たがが外れたのように叫びつづける少年をその胸に収めた。
 「リディ、落ち着いて!大丈夫だから!」
 何が、かは分からないが、兎に角落ち着かせるのが先決。少年は暴れるが、ぐっと強く抱きしめる。
 「大丈夫、大丈夫だから……」
 その横で、娘は入ってきた役人たちを威圧している。その殺気、その視線だけで、屈強な男たちは動けなくなっている。動いたものから彼らの主導者の二の舞になることも予想された。
 (まったく、もう!)
 暴れる少年に手を焼きながら、男は心の中で叫ぶ。
 (ホントに考え無しなんだから!!!)
 だから退屈しないのだけど。
 それはともかく、ここは彼しか「考える」担当は居ない。損な役回りだと、つくづく思う。
 「シン!すっきりしてるトコ悪いけど、逃げなきゃだよ!?」
 「分かっている。が、意外とすっきりはしていない」
 役人たちの方を向いたまま、シンは憮然と、焦点のずれた応えを返す。そう、すっきりしない。仇を討ったとはいえ。これは首謀者ではない。真の敵は他に居る。
 「リディがパニック起こしてるんだ、どうにかしてここを」
 「血路を開く」
 「……」
 ジズは一瞬黙り込んだ。この娘が「血路」と言うからには、それは正真正銘の「血の路」となる。
 人の命って、儚いんだよ。ただでさえ、短いのに。
 無駄に壊すのは……ヤだなあ。
 「……物騒なの、ヤだな。俺が何とかするから、逃げて。リディをヨロシク」
 シンに少年を渡そうと、彼が腕の力を緩めた途端
 「嫌だぁっっっ!!!」
 少年は、その腕を振り解いて駆け出した。
 「なっ!?」
 「リディウス!?」
 そして男の伸ばした腕からも逃れ、闇雲に駆けて、
 「逃がさんぞ!」
 進路上にいた、役人の腕に捕えられた。

 怖いのとは違った。説明は出来なかった。
 目の前に現実が突きつけられたとき、思い知った。
 ああ、やはり、この人は、自分とは違うのだと。
 信じていたかった。優しさと強さに、安心しきっていた。
 でも、思い知らされた。
 裏切られたと、思ってしまうのは何故だろう。
 それも説明出来なかった。
 「リディウス!」
 その声が自分の名を呼んでも、現実味が沸かなかった。いつもは、その絶妙な高さの声に名を呼ばれると、耳に心地よくもあったのだけど。
 こんな生活の中で穏やかに過ごすことは夢に過ぎないとしても、その幻想を壊されたくはなかった。
 それを壊した彼女を恨むのだろうか?自分は。
 だが、自分はそれ以上に、自分を……
 「動くな!」
 自分の頭のすぐ上で声がして、リディウスは我に返った。彼は今、自分たちを追ってきた役人の腕に囚われている。
 「こいつの命が惜しければ、大人しくしろ!」
 役人は太い腕で彼を羽交い絞めにしたまま、もう一方の腕で短刀を少年の細い首に突きつけた。
 「っ!?」
 体が強張った瞬間、軽く刃に首が触れる。うっすらと皮が切れたかもしれない。
 「やめっ……!!ちょっと、ねえ、話し合おうよ」
 いつも余裕を失わない男の声が、この時ばかりは微かに揺れた。
 ああ……
 その声に、リディウスは泣きたくなる。
 いつも困らせてばかりで、本当に、僕は……
 人生二度目の人質という状況の中で、彼は自分の心配をすることを忘れていた。
 「話すことなどない!ここで貴様らは……」
 有利を確信しきった男は、特に確実な抹殺を指示されていた銀髪の「悪魔」に目を遣り、絶句した。
 悪魔と目が合ってしまった。
 「……」
 白い服を纏った悪魔は、無言のまま、すい、と前に出る。
 「シン!?」
 「く、来るな!!」
 リディウスを連れた男が驚愕を隠せず上ずった声を上げた。ジズは驚きつつも、腰の鞭を手にした。他の追手が動き出すのを防ぐために。
 「……」
 シンは止まらない。全身から怒気とも殺気ともいえる何かを発しながら、男とリディウスに近づく。堂々と懐からナイフを抜く。
 「動くな!武器を棄てろ!」
 しかしシンは止まらない。
 「お、おいっ!止まれ!こいつがどうなっても良いのか!?」
 「止まって下さいぃっ!」
 男の動揺がその手にした短刀に伝わって、何度も首に冷たい感触を覚えたリディウス本人も、上ずった声で叫んだ。
 だがシンは止まる替わりに口を開いた。
 「我が止まったとて、お前はそやつを放さん。我ら全員を葬るつもりなのは分かっている。止まれるか、馬鹿者め」
 ジズたちが身動きせずに見守る中、双方の距離が縮まる。
 「この、悪魔……っ!」
 男の方が後退り、
 「止まれ。動くな」
 シンの方が命令する側にまわっていた。
 「!」
 男の背が、祭壇にぶつかる。男は追い詰められた。人質をその手中にしたまま、追い詰められた。
 「こいつは放そう!約束する!だから武器を棄てて……」
 とうとう人質を、脅しの手段から保身の手段のためのものに換えたのだが、
 「人質を取るような者の約束など、如何ほどの価値があろうか」
 無慈悲な悪魔は言いざま、ナイフを投げる。
 それもまた、綺麗に男の眉間に吸い込まれていった。
 「……下衆が」
 吐き棄てるその瞳は、どこまでも冷たかった。

 俺ってば、かな〜りヤバいことしちゃってたんだ……
 二人目の死者が出た礼拝堂で、ジズは何よりもまずそんなことを思った。何を隠そう、今の今まで人質になっていた少年を最初に人質にしたのは、彼だ。まさかこれほど、連れの娘が人質行為を嫌っていたとは……敵に廻してなくて良かった。
 いや、そんなコト考えてる場合じゃなく。
 「シン!リディを!」
 周りの誰よりも早く行動を再開する。鞭をしならせて、彼の連れである困った子供たちへ近づけぬように、他の役人たちを威嚇する。シンは頷いて、蒼い顔をしている少年の腕を掴んだ。そのまま奥の小さな扉へと駆け出す。
 よし、もう大丈夫かな。
 「ねえ、これ以上死人が出たらヤバいんじゃあないの?」
 残った役人たちに満面の笑みを見せながら、ジズは腰のポーチを探ってみせた。
 「あのコはナイフを使ったけどさあ……俺は、そんな優しくないよ?この建物ごと木っ端微塵にしちゃってもイイんだよね。だから……」
 笑いながら、ポーチから何かを取り出す。
 「これ、何だか分かる?」
 丸くて黒く、導火線のようなもののついた物体。それが彼の掌に収まっていた。役人たちの体が強張るのを確認しながら、ジズは悠々と、今度はマッチ棒を取り出した。靴底で擦って着火する。
 「証拠隠滅も図れて便利なんだよなあ」
 妖しさを湛えた表情で、導火線のようなものの先端に火を点けようとすると
 「た、退却だ!!」
 只でさえ士気が下がっていた役人たちは、一斉に逃げ出した。
 「じゃあね〜」
 見送りながら、ジズは手にした火を吹き消す。きゃらきゃらと笑いながら、手にした黒い物体を放り投げてまた捕まえて、遊ぶ。それは、何時からかポーチに入れっぱなしにしていたもの。導火線に見えたものは、それを母たる樹に繋いでいた茎。
 変色しちゃった果物にも、使い道はあるもんだよね。
 「そんなコトより急がなくちゃ」
 独りごちて、ジズは手にした黒い果実を放り出して駆けだした。果実は床で潰れて弾けたが、どう考えても何かを木っ端微塵にする力はなかった。

 繊細すぎるのも困りものだ。
 繊細さの欠片も残ってないような娘は、少年の腕を掴んだまま思った。二人は今、礼拝堂を出たところで連れの男を待っている。先程礼拝堂に入って来た役人たちで全部だったのだろう、待ち伏せも居なかった。
 「落ち着いたか?」
 「…………」
 掴んだ腕から震えが伝わる。何となく悪い気がして、手を離そうとしたが逆に強い力で掴み返された。
 「ごめんなさい……」
 小さな、震える声。もっと他に云うことも思っていることもあるだろうに、少年はまず謝罪を口にした。
 「……何を謝る。無事ならそれでよい」
 「ごめ、な……」
 少年は声を詰まらせて俯いた。
 「……」
 正直、彼女はこの少年の扱いに困るときがある。今がまさにそうだ。泣かれると本当に困る。どうしてよいのか分からない。
 彼女は溜め息をついた。
 「……こちらこそ、すまなかった。我こそ謝るべきだったな。危険に晒してしまった」
 「いいえ!いいえ!僕が勝手に……」
 そしてやはりまた俯く。足元に雫。
 参った。本当に参った。どう扱えばよいのだ。どうすればよいのだ。あの男はまだか?何をしている?
 「お待たせ!」
 彼女が無意識に助けを求めた相手は、勢い良くドアを開けて出てきた。ほっとしてしまうのは仕方が無いだろう。
 「首尾は?」
 「上々!我ながら惚れ惚れ。さ、大掛かりな追手が掛かる前にここを出るよ。荷物は何処置いたっけ?」
 一歩踏み出した男は、俯く少年に気付いてその踏み出した足を戻した。頭を撫でようとして手を伸ばすが、躊躇って引っ込める。
 「……ごめんね、リディ。やっぱり、俺たちと一緒に行くしかないみたいだ」
 「……はい」
 少年は目に涙を溜めたまま、危うい笑顔で顔を上げた。
 「僕は、お二人についていきます」
 リディウスは訳も分からず泣き出しそうな気分を堪えて、今の状況を振り返る。自分たちを殺そうとする追手が来て、シンが逆にそれを殺して、自分が取り乱した所為で更に死人が出て。でも。
 「僕を殺そうとした人を、死なせた僕は……それでも、死にたくないと、思いました」
 止まっている余裕はないと分かってはいても、男も娘も黙って動こうとしなかった。
 「僕は、ずるいですね。でも……このまま、死ぬのは嫌です。黙って待つのも、嫌です。これ以上、ずるくなりたくない……!」
 少年の笑顔は消えた。毅然とした表情を、替わりに。
 「僕は、自分の意志で。お二人についていきます」
 「リディ……」
 辛そうな笑顔で、ジズは少年の肩を抱いた。シンは無言のまま俯いた。
 「……行こう」
 低く押し殺した声で彼女が告げると、
 「はい!」
 しっかりとした返事が返ってきた。
 「……よしっ!じゃあ、行こう!!」
 ジズがいつもの表情で、自分を含め、皆を元気付けるように明るい声を出した。夜の山へ踏み出そうと、「家」に背を向けると、
 「お待ち下さい!」
 その「家」の主の声が、彼らを引き留めた。振り返ると、アディスが重そうに何かを引きずって彼らの方へと向かってきている。
 「お待ち下さい……これを……」
 彼女が運んできたのは、彼らの荷物と服。それに、袋に入った野菜。
 「なんで……アディスさん、こんな……」
 「やめておけ。我らにこのようなことをすれば、立場というものが」
 子供たちに、変わらぬ穏やかな笑顔を向けると、彼女は首を横に振った。
 「事情は、訊きません。ですが……貴方たちは優しい方々です。よっぽどの理由があるのでしょう」
 彼女は、彼女の「子ども」を助けてくれた彼らの行為と優しさを忘れない。リディウスの苦悩も目にしている。
 「アディスさん……大変なご迷惑をお掛けします。貴女のその美しい笑顔を曇らせてしまって実に……」
 「すまない。ありがとう」
 ジズを気にせずシンが頭を下げて荷物を受け取った。神官は優しく微笑む。
 「さあ、急いでお逃げください。あの星の方向が北です。東に向かうと街道に出ます」
 と、後ろの礼拝堂で悲鳴が上がった。イティだろう。騒々しい駆け足がこちらに近づいてくるのも聞こえる。
 「人殺し……っ!!」
 ドアが開くと同時に、取り乱した神官見習が叫んだ。憎悪に燃える瞳に、リディウスはたじろぐ。
 「人殺し!人殺し人殺し人殺し!!!」
 普段の明るい声とは打って変わった血を吐くようなその叫びに、男は絶句した。実際に人を殺した娘は、瞳を逸らさず、ただ受け入れる。
 「イティ……!!」
 アディスが駆け寄り、半狂乱の娘を抱きしめる。
 「人殺し!!悪魔!!人殺しぃっ……!!!パパとママを返してよ!!」
 「っ……!落ち着いて、イティ!落ち着きなさい!この人たちは、貴女の言っている人ではありません!」
 この神官見習にも、深い心の傷があるのだろう。人の死体が、それを呼び起こしてしまった。
 「皆さん……っ!早く!早く逃げてください!」
 叫びつづける娘を抱きしめながら、神官は三人を見る。ジズは頷くと、子どもたちの肩を叩いた。
 「……さようなら、ごめんね、ありがとう、アディスさん!」
 背を向ける男と、
 「……すまない……っ!」
 眉根をひそめて詫びる娘に続き、少年も駆け出した。だが、一度足を止め、振り返る。
 「ありがとうございます、それにごめんなさい!貴女にも、神の……『神』の、ご加護がありますように!!」
 そしてまた駆け出す。真っ暗な闇の中へ。それでも、迷いが幾らか消えた顔で。
 「『神』よ……迷えるものに、どうかご慈悲を……ご加護を……」
 泣きじゃくり始めた娘を胸に、神官は静かに祈った。

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