ジズを通じてシンの意思も表明され、とりあえずの同盟が結ばれた夜。三人は隠れ家の一角を借りて休むことにした。リディウスは老人たちの部屋に誘われていたのだが、誰にも打ち解けようとしないシンの側に居ることを望んだ。ジズがちょっぴり残念そうな顔をしたようなしていないような気がするが、深くは考えないことにする。
 「なんだか、どきどきしますね」
 粗末ながらも綺麗に洗濯された掛け布団にくるまって、リディウスは二人を見た。
 「うん、そうだね。でも……君にも、結構危ない役割を演じてもらうことになるけど、ホントに大丈夫?」
 ジズが心配そうに彼の顔を覗き込む。確かに、老人たちの計画では、リディウスにしかできない役目もあった。
 「大丈夫……です。怖いけれど、できそうな気はします」
 「大丈夫だ」
 不意に、彼の頭の上にシンの手が降りた。くしゃり、と撫でる。
 「お前だけは何としてでも生きて帰す。約束したからな」
 「あ、ありがとうございます。でも……」
 「?」
 「僕は、皆さんがご無事でないと、嫌です」
 それを聞いてシンは微笑んだ。もう一度彼の頭を撫でて、頷く。そんな穏やかな彼女を見ていると、昨夜の出来事が嘘のように思える。
 「あ、そういえばシンさん」
 今夜のリディウスは、久々によく喋る。ここ最近の、物憂げな様子とは明らかに違う。それは老人たちとの語らいによって、己の悩みに対する何らかの光明を見出したからなのだが、シンたちは知らない。ただ、少年が明るさを取り戻したことを嬉しく思う。
 「何だ?」
 「シンさんは、その、不老長寿、なんですよね」
 「ああ」
 敢えて避けてきた話題を、彼から振る。それに気付いたジズは少し驚いたが、当の子どもたちは極自然に会話を続ける。
 「じゃあ……僕はおじいちゃんになって、先に死んでしまうんですね」
 「……」
 寂しそうに眉尻を下げる少年を、男は無言で……無表情に、見詰める。
 「そうだろうな」
 娘は手入れをしていたナイフを置いて、応える。
 「なんだか……寂しいなあ」
 実感こそ湧かないが、リディウスは将来のことを考えると、寂しい、と思った。勿論、今回の計画が失敗すれば歳をとるまでもなく皆一緒に死ぬのだが。
 「……仕方あるまい。老いて死ぬのは、摂理だろう?我ら……我は、そこから少し外れているかもしれんが」
 「それに」
 不意に、低く静かに、男の声が割り込んだ。声の調子が何時もと違うことにリディウスは気付いたのだが、その後に続いた声は何時も通りだった。
 「寂しいのは、置いて逝かれる方じゃないの?」
 笑顔で。男は尋ねる。
 「そうかもしれません。でも、残して逝くのも寂しいですよ、きっと。もう逢えないのは、一緒ですから。……残して逝くのが心配な相手なら、尚更です」
 「!」
 男は、息を呑む。その横で、娘は
 「我は、残すと心配なのか?」
 やや不満げだ。
 「え、その、シンさんは頼り甲斐がありますけど、放っておけませんよ。家事一般とか常識とか……」
 的確なところを突いて応答する少年と、やはり不満げな娘をぼんやり見ながら、男は壁にもたれ掛る。
 (そっか……そう、なんだ……)
 目から鱗、だった。置いて逝かれる方だけが、寂しいのだと。思っていた。思い続けていた。この、永い間。
―――なら、じゃあ
 楽しそうに談笑する子どもたちの横で。
―――誰も、寂しくないようにするには
 男は、それでも口の端を、楽しげに見えるよう吊り上げながら。
―――やっぱり
―――出逢わないか、深入りする前に別れること、しか……
 少年が珍しくねだり、応えて聴こえてきた娘の歌声に浸りながら、男は静かに目を閉じた。

 南の、とある場所に「真の法王」は幽閉されている。
 シスイはそこへ向かっていた。依頼主の許しはないが、そこで待ち伏せさせてもらうつもりだ。大嫌いな、同族を。
 (絶対に、あいつはここに辿り着く)
 確信があった。相手を過大評価する訳ではない。解っているからだ。嬉しくないが、付き合いはかなり永い。
 人通りも途絶えた荒廃した道を、彼は歩く。途中、廃墟と化した町を見た。彼の依頼主が滅ぼした小さな町だ。彼は、滅びの静けさは、嫌いではない。だが、「異端者」を消していくやり方は、好きではない。自分に関係なければ、まあ、どうでもよいのだが。
 「……」
 不意に、彼は立ち止まった。馬の嘶きと、がたがたという車輪の音。複数の人間の話し声。こちらに向かってきているようだ。彼の鋭敏な耳は、風に流れてきたそれを捉えた。どうというわけではないが、彼はそれらを待つことにした。こんな荒れた道を通るなど、夜盗の類だろうか。ならば、少々腹も減った。荷物を頂こうか。ついでに腕も鈍るから、斬らせてもらおう。
 無邪気にも見える微笑を浮かべ、待つことしばし。
 「おや、娘さん、一人かい?」
 やってきたのは、年老いた馬と共に馬車を引く老人と、
 「やだよあんた。娘さんじゃないよ、立派な若者じゃないか」
 後ろから馬車を押す老婆だった。
 「お?……ああ、こりゃ失礼。でもどうしたね?こんな所で」
 人好きのする笑顔を見せて、老人は立ち止まった。汗をかいていて、息切れも激しい。帽子の洒落た羽飾りが揺れていた。シスイは老人たちを観察するついでに、馬車にも目を走らせる。どうやら、荷台の後輪が壊れているらしい。荒れた道をさっさと移動するつもりが、そうはいかなくなった、という風情だ。
 「別に……」
 盗んで文句を言われない相手以外からは、盗まない方が賢い。おまけに老人二人など、斬っても楽しくはない。シスイはそう判断してその場を立ち去ろうとしたが、
 「今からだと、次の街までには夜になっちまうよ。幾らあんたが若くても、一人は危険だよ」
 老婆が心配そうな顔をして、彼の前に出てきた。
 「……」
 彼の進路を邪魔するということは相当危険なのだが、そんなことを老婆が知るはずもない。
 そして何故か、シスイも何時ものように刀を抜いたりはしない。じっと老婆を見つめている。
 「あららやだよ。いい男にそんな見られたら、照れるじゃないのさ」
 からからと笑う老婆と、
 「毎日いい男にみられてるじゃないか」
 皺の刻まれた己の顔を指差して、同じくからからと笑う老人。
 「……」
 シスイはふと視線を逸らすと、やはり立ち去ろうとした。老婆の雰囲気が、昔からよく彼の世話を焼く、三つ年上の女に似ているからかもしれない。なんとなく頭が上がらない気がした。
 「おおっと、待ちなさい」
 老人が慌てて彼を呼び止めるが、聞かない。老人は彼に駆け寄った。
 「どうだろう、一緒に行かないか?」
 「何故だ」
 奇跡的に足を止めたシスイの返事は、にべもない。だが老人は笑う。
 「何故って、お前さん、野宿するつもりかね?狭いが、うちの荷台は屋根もついてるぞ」
 「断る」
 やはりにべもない彼に、老人は哀しげな顔をした。
 「そうか……じゃあ、気を付けてな」
 シスイは無言で再び歩き始めた。
 よく知りもしない人間を馬車に誘うなど、疑わしくて構っていられない。
 旅を始めて間もない頃、遠い昔。痛い目に遭ったことがある。
 信じられるものか。一族以外の者など。
 そんな彼の後ろで、決して軽やかとはいえない足音がした。
 「ちょっとお待ちよ、あんた」
 老婆だ。またしても(無意識だが)、シスイは素直に足を止めた。
 「……何だ」
 「せめて、これを持っていきなさい」
 老婆は(実は恐ろしいこととも知らず)強引に、乾燥した果物を彼に押し付けた。
 「……何のつもりだ」
 「非常食に決まってるじゃないか。最近の若いのは、そんなことも知らないのかい」
 「……」
 意図した応えは返ってこなかったが、シスイは思わず受け取ってしまったものを見た。甘酸っぱい、東国の果実。彼は、嫌いではない。
 「見た所荷物も少なそうだし、食料の蓄えもないだろう?ひもじくなったらこれを食べるんだよ。じゃあ、気を付けて行くんだよ」
 明るく笑って、老婆は老人の下へ帰る。
 「……」
 シスイは果実を懐に仕舞うと、片手を手刀にして、軽く頭を下げた。
 彼の一族が古くから用いる、礼の動作だった。

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