南の、とある場所に「真の法王」は幽閉されている。
シスイはそこへ向かっていた。依頼主の許しはないが、そこで待ち伏せさせてもらうつもりだ。大嫌いな、同族を。
(絶対に、あいつはここに辿り着く)
確信があった。相手を過大評価する訳ではない。解っているからだ。嬉しくないが、付き合いはかなり永い。
人通りも途絶えた荒廃した道を、彼は歩く。途中、廃墟と化した町を見た。彼の依頼主が滅ぼした小さな町だ。彼は、滅びの静けさは、嫌いではない。だが、「異端者」を消していくやり方は、好きではない。自分に関係なければ、まあ、どうでもよいのだが。
「……」
不意に、彼は立ち止まった。馬の嘶きと、がたがたという車輪の音。複数の人間の話し声。こちらに向かってきているようだ。彼の鋭敏な耳は、風に流れてきたそれを捉えた。どうというわけではないが、彼はそれらを待つことにした。こんな荒れた道を通るなど、夜盗の類だろうか。ならば、少々腹も減った。荷物を頂こうか。ついでに腕も鈍るから、斬らせてもらおう。
無邪気にも見える微笑を浮かべ、待つことしばし。
「おや、娘さん、一人かい?」
やってきたのは、年老いた馬と共に馬車を引く老人と、
「やだよあんた。娘さんじゃないよ、立派な若者じゃないか」
後ろから馬車を押す老婆だった。
「お?……ああ、こりゃ失礼。でもどうしたね?こんな所で」
人好きのする笑顔を見せて、老人は立ち止まった。汗をかいていて、息切れも激しい。帽子の洒落た羽飾りが揺れていた。シスイは老人たちを観察するついでに、馬車にも目を走らせる。どうやら、荷台の後輪が壊れているらしい。荒れた道をさっさと移動するつもりが、そうはいかなくなった、という風情だ。
「別に……」
盗んで文句を言われない相手以外からは、盗まない方が賢い。おまけに老人二人など、斬っても楽しくはない。シスイはそう判断してその場を立ち去ろうとしたが、
「今からだと、次の街までには夜になっちまうよ。幾らあんたが若くても、一人は危険だよ」
老婆が心配そうな顔をして、彼の前に出てきた。
「……」
彼の進路を邪魔するということは相当危険なのだが、そんなことを老婆が知るはずもない。
そして何故か、シスイも何時ものように刀を抜いたりはしない。じっと老婆を見つめている。
「あららやだよ。いい男にそんな見られたら、照れるじゃないのさ」
からからと笑う老婆と、
「毎日いい男にみられてるじゃないか」
皺の刻まれた己の顔を指差して、同じくからからと笑う老人。
「……」
シスイはふと視線を逸らすと、やはり立ち去ろうとした。老婆の雰囲気が、昔からよく彼の世話を焼く、三つ年上の女に似ているからかもしれない。なんとなく頭が上がらない気がした。
「おおっと、待ちなさい」
老人が慌てて彼を呼び止めるが、聞かない。老人は彼に駆け寄った。
「どうだろう、一緒に行かないか?」
「何故だ」
奇跡的に足を止めたシスイの返事は、にべもない。だが老人は笑う。
「何故って、お前さん、野宿するつもりかね?狭いが、うちの荷台は屋根もついてるぞ」
「断る」
やはりにべもない彼に、老人は哀しげな顔をした。
「そうか……じゃあ、気を付けてな」
シスイは無言で再び歩き始めた。
よく知りもしない人間を馬車に誘うなど、疑わしくて構っていられない。
旅を始めて間もない頃、遠い昔。痛い目に遭ったことがある。
信じられるものか。一族以外の者など。
そんな彼の後ろで、決して軽やかとはいえない足音がした。
「ちょっとお待ちよ、あんた」
老婆だ。またしても(無意識だが)、シスイは素直に足を止めた。
「……何だ」
「せめて、これを持っていきなさい」
老婆は(実は恐ろしいこととも知らず)強引に、乾燥した果物を彼に押し付けた。
「……何のつもりだ」
「非常食に決まってるじゃないか。最近の若いのは、そんなことも知らないのかい」
「……」
意図した応えは返ってこなかったが、シスイは思わず受け取ってしまったものを見た。甘酸っぱい、東国の果実。彼は、嫌いではない。
「見た所荷物も少なそうだし、食料の蓄えもないだろう?ひもじくなったらこれを食べるんだよ。じゃあ、気を付けて行くんだよ」
明るく笑って、老婆は老人の下へ帰る。
「……」
シスイは果実を懐に仕舞うと、片手を手刀にして、軽く頭を下げた。
彼の一族が古くから用いる、礼の動作だった。