@ひとつ目。
「死後の世界で優遇して」
「駄目です」
おいおい、速攻却下かよ。
「現世で叶えられるもの限定です」
「ケチ」
唇を尖らせて抗議してみたが、コイツは勿論動じない。
「それに、どうせすぐに生まれ変わりますよ」
「あ、そうなんだ?じゃあ……あ、来世もダメか」
「駄目です」
そうか。我ながら良いアイデアだと思ったんだけど。
さて、となると、とりあえず親孝行しとくか。
俺はヤツの顔辺りに視線を遣った。
「先ず一つ目、言うよ?」
「はい。どうぞ」
「母さんの買った宝くじ、一等ってコトにして」
「わかりました」
ヤツは頷いたようだ。
「……」
「……」
頷いて、それっきり。
「……なあ、ホントに叶ったのか?」
「ええ」
イマイチ、信じがたい。
そんな俺の考えが分かったのか、ヤツは(多分怪訝そうな顔をして)こちらを窺う。
「当選番号の抽選は、明日ですので。明日になるまで証拠はお見せできませんよ?」
「あ、そうか」
「そうです」
「分かった。信じる。これで葬式代は賄えるな」
「そうですね」
死んでからできる親孝行といえば、これくらいだろう。どこか抜けてるが、あれでどうして、女手一つで俺を(自分で言うのもなんだが、まあ、立派に)育てた母さんだ。一億円のプレゼントでは足りないかもしれないけど。
ああ、そうか。
そこで俺はやっと気が付いた。俺が死んだってコトは、母さんは独りになる。自由もプレゼントしてやれたのか。
母さんはまだまだ若い。これからイイ男でも捕まえれば、もっと自由に楽しく生きられるだろう。小さい頃からほとんど笑わない息子なんかに縛られずに。ホントは嫌がっている夜のバイトも辞めて。
……なんだ。俺、死んでからの方が役に立つじゃん。
「もしもし?」
ヤツがこちらを見ている。
「何?」
「いえ。あと二つはどうするのかと」
「そうだなあ……」
考えながら視線を巡らすと、警察が俺のすぐ横で現場検証をしている。あの可哀想な運転手は、震えながら警察と車に乗り込んでいた。野次馬が「血だ」「自転車が」などと言っている。携帯で写真を撮っているヤツらも居る。別にどうでもいいといえばいいが、何となく、腹が立つ。見世物じゃないっていうんだ。
「あ」
野次馬の中に、俺と同じ制服を着たヤツが居た。同じクラスのタナカだ。蒼ざめた顔で、俺のチャリを見ている。そういえばアイツ、登下校で時々擦れ違ったから、俺のチャリを知ってるっけ。自慢になるが、俺のチャリは結構カッコイイ。シルバーと紺の色も良いし、パーツはごついのに全体として滑らかなフォルムも気に入っている。……今は無惨に車体の下でひしゃげているけど。その上、一部は俺に刺さったまま救急車に乗ってるけど。
タナカは携帯を取り出したが、周りの野次馬とは違い、写真を撮ることはしなかった。震えながら、誰かに電話をしている。ああ、これで俺のクラスにはすぐに連絡が回るだろうな。母さんにも連絡がいくだろう。……誰か、泣くだろうか。
「……なあ。ちょっと、家とか学校とか見てもいい?それから決めたい」
「わかりました」
「あ、今のは『願い』に入らないよな?」
「入りません。そこまで意地悪でも融通が利かない訳でもありませんよ」
「良かった」
「そうですね」
俺はとりあえず事故現場から離れることにした。面白い。俺の体が人や物をすり抜ける。ちょっと、貴重な体験だ。
「とりあえず家に。母さんが、帰ってきてるかも」
「はい」
ヤツが頷いた瞬間、景色が一瞬ぼやけた。そして次の瞬間には
「こちらですね」
「……うん」
俺と母さんの住んでいる団地の前に居た。まだ誰も事故のことを知らないようだ。近所のおばさんたちが今日も飽きずに井戸端会議をしている。
俺たちはその横を通り過ぎて、ドアの前に立った。いつものクセで鍵をポケットから取り出したけれど、もう必要ないんだっけ。
「只今」
それでも習慣というか、なんというか。「只今」を言ってドアをすり抜ける。玄関に母さんの靴はある。もう、スーパーのレジ打ちのバイトは終わったらしい。
……お帰り、って、言ってもらえないんだな。
母さんはまだ着替えもしないままで、台所に立っている。疲れているだろうに、鼻歌交じりに、夕食を作っている。
要らないんだよ、母さん。今日は、俺、今日から、俺の分は。
なんだか居た堪れなくなって、母さんの肩に手を置こうとしたけれど、すり抜ける。
「……はは」
なんだか笑いたくなった。
それから暫くは、大変だった。ウチの電話がけたたましく鳴り出して、母さんが青い顔をして家を飛び出して、病院に駆け込んで、白い布を掛けられた俺の前で泣き崩れて。……母さんが泣くのを見たのは、十数年ぶりだった。その時母さんを泣かせた男を俺は軽蔑しているが、まさか自分まで母さんを泣かせてしまうとは。
「親不孝だな」
「本当に申し訳ありません」
相変わらずの抑揚の無い声で謝られても、少しも誠意は感じないんだけど。
「いいよもう。仕方ない……んだよな?この場合」
「はい。神の手にも負えなかったのですから」
「そうだね」
「はい」
母さんはまだ俺の体に取りすがって泣いている。……見ているのも、ツライ。それ以上に、耳に刺さる声が……
「移動しよう」
「はい。どちらに?」
「どこでもいいよ」
「……」
「……じゃあ、家」
「わかりました」
また、一瞬でウチに着いた。母さんが慌てて出て行ったままだ。サンダルや俺のスニーカーがぐちゃぐちゃだ。
「ふぅー……」
ソファに座……ろうとしてすり抜けて床に尻餅を着いたが、とりあえず坐って息をついた。
「今日は色々あったな。死んだし」
「そうですね」
習慣でテレビを点けようとしたが、リモコンも触れない。不便だな。
「はぁ、結構死んでるのもしんどいや。早く願いを決めよっかな」
「はい。焦らなくても結構ですが」
「うん」
俺は狭いリビングに視線を巡らせた。母さんに、とりあえず現金と自由は残せた。後は、何かできないだろうか。
「……」
俺の目に、小さい頃の俺を抱えて笑っている母さんの写真が映った。母さん、とても楽しそうに、大口を開けて笑っている。
シャッターの向こうには……あいつが居るのに。
「そうだ」
俺はヤツを見た。相変わらずぼやけている。
「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど」
Aふたつ目。
「はい、なんでしょう」
「願いってさ……誰かを殺して、っていうのは、駄目?」
「駄目です」
ああ、やっぱり却下か。
「想定外の死人が増えることになりますので」
「あ、そうか。そうだよな」
「そうです」
ちょっとだけ、「親父を殺して」って頼もうかと思ったんだ。十数年逢ってないけど、道連れにしてやれば母さんの今後のために、後腐れないかなあ、と。
ま、駄目なら駄目でいいけどね。
「じゃあいいや。また明日にでも考えるよ」
「はい」
俺はコイツの存在を無視することにして、自分の部屋に入った。高校生男子の部屋にしては綺麗だと思う。クラスの連中には「不健全」とか言われるが、見られてやましいものも置いていない。家計を助けるためにバイトしている身分だ。そんなもののために使う金など無い。
あ、そういえばバイト先に連絡してないよな。今日は出勤日じゃないけど、明日からシフト、狂うだろうな。ま、いっか。死んだんだ、大目に見てくれるだろう。
ベッドに寝転ぼうとしてまたすり抜けた。……っとに、不便だな。でも、ま、下から見るベッドってのも新鮮だ。
「あの」
ヤツが話し掛けてくる。何だよ。
視線だけ向けると、ヤツは床に正座してこちらを覗き込んで来た。
「お節介でなければ、ある程度物に触れるようにしましょうか?」
「できるの?」
「ええ。今も、床や階段などは感覚があるようにはしておりますが」
あ、そういえばそうだな。
「じゃあ、よろしく。なるべく生前と変わらなくしてよ」
「はい。人間以外には、触れるように致しましょう。すり抜ける・触るは貴方の意思で。ああ、これはサービスですので、ご心配なく」
「うん、ありがとう」
「どういたしまして」
ヤツが頷いたのを確認して、俺は上にあるベッドに「ぶつからないつもりで」立ってみた。すり抜けた。次に「乗るつもりで」ベッドに腰掛けてみた。
「お」
座れた。やっぱり落ち着くや。
「意外と気が利くんだね、あんた」
「ありがとうございます」
流石は天使、ってヤツか。俺は少し感心して、
「そうだ」
ベッドから起き上がった。机の上をごそごそ探すと(やっぱ触れるって便利だ)、
「ああ、あったあった」
前に、母さんがくれたお菓子。その空き箱。黄色い箱に、所謂「天使」のイラストが描いてあるものだ。
「なんですか?それは」
振り向いてヤツを見ると……
「ははは」
俺の手にしたパッケージの「それ」そのものがこっちを見ている。成る程、その人のイメージする「天使」、ね。
「どうしました?」
が、如何せん俺の乏しい想像力では、その平面的な絵が喋るトコは考えられない。手抜きのCMみたいに、動かない絵。不気味だ。
「なんでもない」
空き箱を机の上に放り投げたら、またコイツはぼやけた人型に変わった。これもこれで不気味だけど、あっちよりはいいか。慣れたし。またなんか他の「天使」の絵を見つけたら、遊んでみよう。
「それより、明日とか母さん、大変だろうな。お通夜とか葬式とか」
「そうですね」
「やんなくていいのにな。俺、式がなくても平気だし」
「そうですね。でも」
ヤツは首を傾げた。
「残される側の気持ちの問題でしょうね」
「そっか」
「そうでしょう」
「そうだね」
俺はこの夜、ヤツと話をしたりぼーっとしたりごろごろしたりして時間を潰した。眠くも無いし。何度も電話は鳴ったけど、無視した。当たり前か。
母さんは、帰ってこなかった。病院で俺のカラダに寄り添って、泣き疲れて眠ったらしい。次の日に病院に行ったら、そのままの格好だったから。身よりもないから、通夜は今夜も母さんが俺との別れを惜しむだけにして、明日が葬式に決まった。学校のヤツらが儀礼的に来るくらいだろうから、式の規模もごくごく小さいものにすることが決まった。病院の先生が提案してくれたんだ。母さんはぼんやり頷いてるだけだった。
警察に付き添われて、あのトラックの運転手が母さんに逢いに来たりもしたけど、母さんは上の空だし運転手はがたがた震えてるし、話にはならなかった。見てるのも痛々しいから、俺はヤツに頼んで学校に行った。
全校集会をやっていた。俺が死んだことを、禿げた校長が「沈痛な面持ち」で皆に報告している。本当はどうでもいいんだろうけど。生徒の一人くらい。特別優秀な生徒でもなかったしね。
でも
「……あいつ、カッコ良かったよな」
集会後、教室で同じクラスのヤツが、そう呟いてるのが聞こえた。泣いているヤツも居る。女子も泣いている。
なんだ?皆、ロクに話すらしたことないのに。
「クールだったよな。落ち着いてて」
「意外と優しかったんだよ」
「結構、サッカー巧かった」
男が男を誉めることなど、滅多に無い。……死んだら、抵抗がないのか。それとも故人の想い出は美化されるものなのか。
その時、一際大きな泣き声が響いた。ナガノだ。美人だと評判だったが、俺は気にしたことも無かった。そのナガノが、机に突っ伏して泣いている。
「ユウコ……」
「元気出しなよ、ね?」
ナガノと仲の良い女子たちが慰めている。どうしたんだ。
俺の疑問には、俺の席(ドラマで見る通り、花が飾られていた)の後ろの女子たちが答えてくれた。ひそひそ声で。
「ユウコ、好きだったもんね……」
……へ。
「でもさ、あいつ鈍くてさ」
それは否定しない。
「なんだ、俺、好かれてたんだ」
「そうみたいですね」
「もう遅いけどな」
「そうですね」
生まれてこの方、友人と呼べるヤツも居なかったが、嫌われていたわけでもないらしい。予想以上に泣いてくれる人も居た。なんだ、俺、そんな不幸せな人間じゃなかったんだ。多分。
「もういいよ。家に戻ろう」
「はい」
帰ってみると、それはそれは慌ただしかった。葬式の準備らしい。業者の人が数人来ている。家にはそれらしい白黒の幕とか、それっぽい式壇とか、それになんとまあ手早いことに、俺を収めた棺も置かれていた。左前、ていうのかな。右の合わせが上に来ている白い着物を着て、出血のためものすごく青くなった顔をして、寝ている。なんかで聞いたことがあるけど、色んな穴に綿が詰められてるんだろう。医者の好意で、傷も縫合してあるようだ。勿論チャリの部品も取り除かれている。
「あ〜あ。こんな青い顔、ヤだな」
母さんの後ろから一緒に自分のカラダを見つめていても、そんな感想しか出てこない。
「そうですか」
「そうだよ。しまったな。男だけど死化粧とかしてくんないかな」
「願いますか?」
「いや、いい」
「はい」
そうだった、願いをあと二つ、考えなきゃな。それも忘れてた。
「葬式まで時間あるし、ゆっくりしよう」
「そうですね」
俺はつけっ放しのテレビを見ようと、リビングに移動した。お。宝くじの抽選をやってる。母さん楽しみにしてたのに、それどころじゃなさそうだな。
俺は母さんの買った宝くじを片手に、ソファに坐った。確認しておこう。
「どれどれ……お?……お!……おお〜!!」
普段、というか生前、こんなテンション高めの声を出したことが無い。母さんが聞いたら驚くだろう。でも、思わず声が出た。これは……今やっと、宝くじを楽しそうに買う母さんその他の人々の気持ちが分かった。
「ホントだ、一等だ」
間違いなく、この手にしたくじは一等。抽選された瞬間に、この紙切れたちは前後賞合わせて一億円の価値を持った。
「願いですので」
「うん、ありがとう」
あとは母さんがこの事実に気付くように、テーブルの上にこのくじを置いといてやろう。
「う〜ん……なんか、これが叶ったからさ、満足した」
「では、猶予を放棄しますか?」
「いや、まだ。葬式くらいはみておきたい」
「はい」
もう正直成仏(?)してもいいんだけれど、それでは勿体無い。本当に願いを叶えてくれるのだから、有効に活用させて頂こう。ま、俺のために何かしても意味がないんだけどね。死んでるし。
夕方になると、近所の人たちや母さんの職場の人たち、学校の関係者やらが訪ねてきた。母さんの昼の職場の人たちや近所のおばさんたちは、色々手伝ってくれてた。夜の職場のお姉さんたちは、俺、ではなく、母さんのために本気で泣いてくれた。みんな、俺たちが母子家庭ということも知っているから、母さんをそっとしておいてくれている。やかましい訪問者を追い返してくれたりもした。おばさんたちのお喋りを聞いてみると、どうやら俺も母さんも評判はいいらしい。死んでから、色んなことがわかるな。
こんな人たちに囲まれていたんだ。俺たちは。そんな幸せに俺は気付かなかったけれど。
ああ、どうか、願わくば、母さんにはずっと幸せで居てもらいたいな。
「……あ」
「どうしました?」
「これを願いにすればオールOKだったんじゃないか」
「何をですか?」
「これだよ。ああ、二つ目、いい?」
「はいどうぞ」
「母さんが、ずっと幸せでありますように」
ちょっと照れくさくて、視線を逸らしながら、願った。でも、これこそ、俺の出来る最高の願いに違いない。
しかし、
「駄目です」
「何でだよ!?」
俺らしくもなく思わず叫んでしまったが、ヤツは相変わらずぼやけたまま、抑揚の無い声で答える。
「漠然としすぎています」
「……そうか?」
「そうです。人の価値基準によってどうとでもなるものです」
「じゃあ、母さんにとって……っていうと、駄目だな。欲が無いからなあ……」
茶柱が立ったくらいで「私、ものすごく幸せなのね♪」と大喜びするような人だ。おまけにそれを他の人にお裾分けしようとする(茶柱は、俺の湯呑に輸入された)。
もっと具体的に考えなければ……しかし金銭面はもう叶えてもらったしな……金、とくれば次は……
「男、か?」
「私ですか?私に性別はありませんが」
「いや、違う。母さんに、良い男(ひと)が出来ますように、とか」
「良い、というのは……」
「ごめん、これも曖昧だな」
考え込む俺の前を、そろそろ職場に戻るらしいお姉さんたちが通り過ぎていく。母さんもなんとか上の空状態からは抜け出したらしく、彼女たちを見送りに俺の前を通っていった。ああ、やつれたな。こんなに背中、小さかっただろうか。こんなに、細かっただろうか。
昨日からロクにメシも喰ってないみたいだし、大丈夫だろうか?死んだ者のために健康を害すのも間違いだと思う。道連れとか、そんな趣味はない。いや、親父に対してはちらっと考えたけどさ。それは別。
……ん?健康?
「……金じゃ健康は買えないよな。よし。健康だ」
俺はヤツに向き直った。
「改めて、二つ目な。母さんが死ぬまで大きな……ええと、病院に行かなきゃならないくらいの怪我とか病気とか、しませんように」
「わかりました」
ほっ、と思わず溜め息を吐いてしまう。これは叶えてもらえるようだ。ああ良かった。
「二つ考えるだけで結構疲れたな。あと一つ、二日でゆっくり考えるか」
「はい」
今日はもう引き篭もることにして、俺たちは部屋に戻った。明日は葬式だ。俺が……いや、俺のカラダが主役だ。何かで主役になるなんて、生前はほとんどなかったな。
ベッドでぼんやりしていると、いきなりドアが開いた。見られないのは分かっているが、思わず驚く。母さんだ。
「……」
疲れきった表情で、寝転がっている俺の上に腰掛ける。なんか、絵的に不思議だ。
「……」
はらはらと、母さんの目から涙。
「……泣くなよ」
俺の声は届かない。俺の指は涙を拭けない。涙に触れることはできても、拭くことは出来ない。俺にはどうすることも出来ないまま、母さんは泣く。
「……なんでよぅ……」
なんでだろうな。
「酷いよぅ」
ごめんな。
大声を上げて泣き出した母さんの肩を叩くことも出来ず、俺は部屋を出た。アイツもついてくる。
「……なあ」
「はい?」
「……キツイ、な」
「……そう、ですか」
「そうだよ」
居間のソファに腰掛けて息を吐く。いや、実際に吐いてるのか分からないけれど。兎に角どっと疲れた。……ああ、駄目だ。家の中じゃ、聞こえてくる声からは逃げられない。
「ちょっと、さ。街にでも出よう」
「はい」
景色がぼやけて、次の瞬間には、俺は坐った姿勢のまま街に居た。当然尻餅をつく。
「おい!」
「はい?」
「……いや……」
痛くはないからいいけどさ、ちょっと驚いた……
立ちあがって周りを見てみると、同じ高校の制服を着たやつらもちらほら居る。皆ふざけあって笑って。何がそんなに楽しいのか、俺にはさっぱり……それこそ死んでも分からない。
「友達、居なかったからなあ」
「はあ」
「まあいいけど。別に寂しくもなかったし。楽だった」
「そうですか」
「うん。あんたは?友達、居るの?」
「え?」
ヤツは腕組みをして考えているようだ。
「同僚なら居ますが」
「そうか。一緒に仕事したり話したりは?」
「しません。単独任務ですし、報告も必要ありません」
「そっか……じゃあ、天使がそうなら、俺の人生も責められはしないよな」
「そうなんじゃないですか」
「うん」
学校やら、兎に角集団では友人を作れと言われ続けた。でも作れと言われて出来るもんじゃないだろう?好きでもないヤツとつるんで、何が面白いんだ。無理に作った「友達」は、「友達」じゃないだろう?そんなの、そいつに失礼だ。
「ところで、街で何を?」
「時間潰し。明日まで。……ああ、でも、することがないな。金も無いし」
周りを見回しても、落ち着けそうな所は……あ、そうだ。
「あの店、入ろ」
「はい」
俺が指差したのは、ファーストフード店。
「よく来ていた所なのですか?」
店の装飾を物珍しそうに(多分、だ。気配というか、なんというかがそんな感じだった)見回しながら、ヤツは俺について階段を昇る。
「バイト帰りで腹が減った時に、たまに利用してた」
あ、そうだ。
「いつも独りだったから、誰かと入るのはこれが初めてだ」
「そうですか」
「うん」
だからどうしたって訳でもないんだけどね。
二階の禁煙席は、おあつらえ向きに人もまばら。とりあえず、ここでコイツと話でもして時間を潰そう。
この狭いテーブルの上に肘をついて向かい合ってみると、想像以上に互いの距離が近い。食べ物が乗ってないせいだろうか。目の前にぼんやりとした人型のモノが居るのにも慣れてはいたが、至近距離だとやっぱりちょっと不気味だ。ま、仕方ないか。
「あんたさ、普段どんなコトしてるの?天使って、いつもこんなコトしてる訳じゃないだろう?」
とりあえず会話をしようとして口を開くと、相手はやっぱり抑揚の無い声で返してくる。
「はい。このような事態は未だかつてありませんでしたから。普段は担当地区の人の生死を確認・記録しています」
「へえ。忙しいの?」
「いいえ。私たちに限界はありませんから」
「そう」
「そうです」
「誰かの願いを叶えることは?」
「貴方が初めてです」
「そうなの?」
「そうです」
「皆、神社とかで願掛けしたりするけど」
「願うのは勝手です。ですが、誰も叶えるとは言っていません」
「そうなんだ」
「そうです」
じゃあ、皆がそれぞれ信じる神に神頼みしても、無駄なんだ。俺がそう思っていると、ヤツは一拍置いて言葉を続けた。
「ですが、人々が願う相手は神です。私たち天使ではないので、神が私たちを使わず、直接何かを叶えているとしたら、それは私の預かり知らないことです」
「ああ、そうか」
「はい、そうです」
その時、俺たちの隣に男子高校生が三人、坐った。違う学校の制服だ。席に着く前も着いてからも、ふざけあっている。
「楽しそうですね」
ヤツがそちらを向きながら言う。顔が見えたなら、多分怪訝そうな顔をしているだろう。
「そうだな」
「何がこんなに楽しいんでしょうね」
「さあな」
奇しくも、コイツは俺と同じ疑問を抱いているようだ。だから当然、訊かれても困る。
「友人と一緒だと、人は何時も気分が昂揚しているように見えます」
「誰も彼もが何時も、って訳じゃないだろう」
「はい。でも、大抵は」
ヤツはまだ高校生たちを見ている。不思議でたまらないのだろう。
そして逆隣に今度は女子高生二人組みが坐った。こちらも喋りっぱなしだ。やかましい。
「ここは、食べるだけの場所ではないのですか?」
「……まあ、食べ物を出す店だけど……俺は食べるだけだったけど、勉強したりダベったりしてるヤツらも多いよ」
「ダベ?」
「なんかずっとおしゃべりしてるようなこと」
「そうですか。わかりました。今の私たちですね」
「えっ!?」
思わず身を乗り出してしまった。一層、ぼやけたヤツの顔が至近距離に迫って、慌てて姿勢を直す。
驚いた。だって……なあ?
「違うんですか?」
「違う……ことも、ない、か……」
そう、だよな?しかし、まいったな。……なんとなく、まいった。
とりあえず俺には今夜、ここでコイツとダベる意外に手が無い。夜中になれば母さんも眠っているだろうから戻ってもよいけれど、それまでは。
午前1時を過ぎるまで、俺はコイツとひたすら喋ったり黙ったりを繰り返した。俺にとって死後の世界が謎であるように、コイツにとっても学校という社会が不思議でならないようだ。刑務所と学校は「生徒」の年齢が違うだけで同じ目的の場所だと思っていたようだ。ある意味、俺もそう思う。
誰かとこんなに話すのなんて、母さん以外には初めてだったが、ヤツは淡々としているので五月蝿くも感じないし、快適といえば快適だった。死んだ俺が言うのもなんだが、周りの生き生きとした若いお喋りだけがお喋りではない。
真夜中に家に戻り、俺のベッドであのまま寝付いてしまった母さんに毛布をかけて、俺はヤツと居間のソファでのんびりしていた。朝になれば、忙しい。明日は休日だから、葬式は朝からということにしていた。母さん、起きられるだろうか。俺は自分の部屋に戻り、目覚ましをセットした。これで大丈夫。喪主だけど、明日はそんなにしっかりはしなくていいからな、母さん。
朝は思ったよりも早くやってきた。
ヤツは物珍しそうに(これも、雰囲気だけど)仏壇を見ている。俺が昨日訊いたところ、コイツらに「宗派」はないらしい。だからコイツは人によって見える姿が違うんだよな。
母さんはぐしゃぐしゃになった髪もそのままに、居間にやってきた。習慣でソファに座り、テレビを点けた。宝くじのニュースをやっている。母さんは思い出したようにテーブルの上の宝くじを見て……
これ以上ないくらい複雑な顔をした。
「この度は、ご愁傷さまです……」
「残念なことで……」
似たような挨拶が繰り返され、人が集まってきた。
近所の人、学校の人、母さんの昼・夜の職場の人、まあそんなトコ。親戚は居ない、というか俺は知らない。
母さんは静かに一人一人に会釈を返している。ああもう、無理しなくていいのに。
昼を過ぎると、同級生たちが押し寄せてきた。……暗い顔してるな、みんな。
「実に残念なことです……ご心中、察して余りあります……」
辛気くさい顔で頭を下げるのは、担任のアキハラだ。初老の痩せた男で、厳しいと評判だが、俺の家が母子家庭と知っているせいか、俺たちを気遣うそぶりもあったし、バイトもすんなり許してくれた(俺の高校はバイトは許可制だ)。まあ、理由の大半は俺がいつも独りで居る以外は模範的な生徒だったからだろう。
「本当に、息子がお世話になりました……」
母さんは、アキハラに深く頭を下げた。二筋ほど髪がほどけて下に流れる。アキハラも「いや、お顔を上げてください」とか言いながらまた頭を下げた。
同級生たちは、いつも授業中だって喋っているヤツらも、真面目な顔をして俯いている。手順も意味も知らないくせに俺のカラダの前で焼香を済ませて合掌して、何か呟いたりじっと祈っていたりする。 遺影は、まあまあ写りのよい写真でよかったけど、それを見て涙ぐむヤツらもいた。
その中で、なかなか俺のカラダの前を離れないヤツが。ナガノだ。
「ユウコ……行こうよ」
友人に袖を引かれるが、ナガノは目に涙をいっぱいに溜めながら、俺のカラダを、俺の青くなった顔をみつめている。
「……」
そしてしゃくりあげ始めた。……やめてくれ……
「もう、いい。いやだ。おい、外に出よう」
ナガノの爆発した泣き声を背中にヤツに話し掛けると、ヤツは頷いて俺と共に外へ出た。空は青いが、俺の気は重い。というかもともと、空が青くてもどうこうなるような神経はないけど。
「……死ぬって、大変だな。俺より、周りが」
「そうですか」
「……うん。そうだよ」
母さんもナガノもあの運転手も。皆が、俺の、俺なんかの影をそれぞれに背負って生きなければならない。その程度はあるにせよ。俺が死んだばっかりに。俺が居なくなるばっかりに。
……俺が、居たばっかりに……?
……そうか……
ああ、そうだ。やっとわかった。
最初からそうすればよかったんだ。
Bみっつ目。
「なあ……三つ目の願い、言っていい?」
「はい、どうぞ」
……ああ、でも、どうだろう。影響が大きそうだから、すぐまた却下されるかな?でもまあ、駄目で元々だ。
「俺の」
口にしようとすると、意外と勇気が要った。何故だ?
「なんですか?」
ヤツは相変わらず抑揚も無く続きを促す。
「俺の、俺を……」
どういえばいいだろう。少し口篭もる俺をヤツはみている。ちょっと待てって。
俺は軽く息を吐いて、言葉をやっと見つけ出した。
「俺という存在を、無かったことにしてくれ」
さあ、却下か?
だがヤツは、今までと違い、すぐには返事をしなかった。
「……いいんですか?」
初めて、コイツの表情のある声を聞いた。戸惑いを含んだ、その声。
「いいよ」
「本当に?」
「……どうしたんだよ。出来ないの?」
「いいえ。出来ます。出来ますが……」
「俺が居なくなれば、全部丸く収まるだろう?俺みたいなイレギュラーが居なかったことになれば、『あんたたち』だって助かるんじゃないの?」
「……そう主張する方も居ました、確かに。私がここに派遣される前に」
「じゃあ」
「でも」
ヤツはゆっくりと話す。
「主は、反対されました。貴方が、あまりにも不憫だと」
そうか?そんなに酷いことか?
「俺が居なくなるだけだ。不憫どころか、皆が助かるし、哀しまずに済む」
「貴方は、優しい。そして幼い」
「幼い、って」
少し気分は悪いが、相手はじっとこちらを見ている。多分、真っ直ぐに。
「確かに皆さんは、貴方を失う哀しさからは逃れられます。ですが、貴方のおかげで得た楽しさも、失ってしまうのですよ」
「その点は大丈夫だよ。俺、誰かを笑わせた覚えなんて、ない。母さんは、まあ何やっても笑ってる人だったし」
「……」
それでもヤツは、いつもの「わかりました」を言ってくれない。
「貴方は……貴方は、それで良いのですか?」
「だから頼んでるんだよ」
「……貴方だけが、哀しみを背負って逝くのですね」
「どうせすぐ生まれ変わるんだろ?」
「……はい。そうです」
ヤツはあまり乗り気でないような雰囲気を漂わせていたが、
「わかりました」
頷いた。が、言葉を続ける。
「『貴方を知っている』皆さんと、どうぞお別れを」
なんだ、ヘンに気を遣うなよ。苦笑しながら、俺は家のほうを振り返った。母さんが俯いているのが見える。ナガノがやっと退席したのも見える。アキハラ、タナカ、名前も覚えて無い同級生、近所のおばさんたち。
さようなら、みんな。
「もう、いいよ」
「はい。では」
世界が、一瞬コイツみたいにぼやけた。そして……
「これが、貴方の存在しなかった世界です」
視界がクリアになった。だが、ここは家の前ではない。
「貴方の最期の場所に、戻りました」
「成る程ね」
ここは、俺が轢かれた場所だ。俺の居なかった世界、といっても別に何も変わっていないように見えるが……
「あ」
見渡した先で信号待ちをしているトラックは、俺を跳ね飛ばしたトラックだった。運転席ではあの若い運転手が、ラジオか何かを聴いているのだろう、楽しそうにハンドルを握る指先でリズムを取っている。
「あの人、信号守ってるや」
「そうですね」
信号が青になった。トラックはゆっくりと俺の前を過ぎて行った。
「良かったな、元気そうだ」
「そうですね」
次に俺たちは、学校に行った。家は、何となく最後に行くことにした。
今日は休みだが、部活をしているヤツが結構来ていた。教室の俺の机の上には花も無く、別のヤツの荷物が置いてある。机の数を数えてみると、一つ足りない。体育館を覗いてみると、どうやらバレー部だったらしいナガノも、女子たちと笑いながら喋っている。
「良かった」
「そうですか」
「うん」
ほっとすると同時に、何故だろう。なんだか、ヘンな気持ち。……なんだろう。なんと表現すればいいんだろう。
「家に行こう」
考えるのが面倒で、俺はヤツに声をかけた。
「はい」
一瞬後、俺たちは見慣れた団地の前に居た。だが、あのモノトーンの幕も、辛気くさい黒い行列も見当たらないし、、お経も聴こえてこない。
「中に入ろう」
家の中に入ると、強烈な違和感に囚われた。玄関の様子が、違う。俺の靴は無い。母さんの靴も無い。インテリアも違う。
「貴方が居なかった世界では、貴方のお母様は、ここには住んでいません」
「……え?」
「お母様に、会いに行かれますか?」
「うん」
俺が頷くと同時に、世界がまたぼやけて、一瞬後に俺たちは知らない家の前に居た。小奇麗な賃貸マンションの一部屋。
「あ!」
俺の前にあるドアには、見たくもないヤツの苗字があった。認めたくはないが、俺の父親の苗字だ。
「……」
無言でドアをすり抜ける。玄関には、知らない男物の靴。そして、母さんの靴。
リビングに入った。ソファの上に、人影。
「母さん!」
近寄るが、勿論俺の姿が見えるはずも無い。俺の知る母さんより、少しだけ肉付きが良くて、血色の良い、母さん。楽しそうに何かをテーブルに広げて見ている。
例の宝くじの当たり券と、その価値の使い道の計画を色々書いている紙切れだ。
鼻歌交じりに、好き勝手なコトを書いている。それでもチラシの裏に書いている辺り、母さんらしい。
テレビの上には、俺と母さんが写った写真は無かった。替わりに、母さんと、あの男が、楽しそうに笑っている写真……それも、何枚も。
「……そう、なんだ……」
俺が生まれたから、母さんたちは別れたのか。俺が居なければ、やはり母さんは幸せになれたんだ。
「ははは」
口から乾いた笑いが出た。急激に、この場を去りたくなった。
「……出よう」
「はい」
ソファに坐った母さん……いや、母さんだった女性の横を通り過ぎて、俺たちは外に出た。知らない場所だ。
「綺麗さっぱり、俺が居ないんだな」
「……はい」
「やっぱり、俺なんか居ない方が、良かったんだな」
「……」
「……あれ?」
なんか、ヘンだ。何で俺、泣いてるんだ?
「なんだよ、これ。なんで涙が出るんだよ、死んでるのにさ」
「……」
「おっか、し、な……」
換わりに言葉が出なくなった。なんで、だよ。
「……貴方は、優しい人ですね。そして、幼くて……強い」
ヤツが、俺の肩に触れた。
「そんなこと、ねえ、よ」
優しかったら、素直に幸せを喜んでやれている。幼かったら、こんな、嫉妬のような怒りのような気持ちなんて、抱かずに済んだ。強かったら、泣いてなんかない。
@’ひとつだけ。
「……もう、いい。俺、残りの時間を放棄する」
別れを告げるべき人も居ない。
「……はい。天へ、ご案内致します」
ヤツは俺の手を取った。体が、浮き上がる。
「これから貴方は、天でほんの少しの間、眠って、そして目が覚めたら、新しい人間として、生まれます。また、この世界に」
上へ上へと昇りながら、ヤツは淡々と喋る。みっともないが、俺はずっと泣いたままだ。
「まったくの新しい人間として、幸せに、生きてください」
「……うん」
上昇が止んだ。眩い光に包まれた門が見える。とっても分かり易い「天国の入り口の図」だ。
「あの扉をくぐってください」
「うん」
ヤツの手を離して、俺は一歩踏み出した。
「あの……!」
だがその手を、ヤツが掴んだ。
「な、なに?」
「あの……ひとつだけ、私の願いを聞いてもらっても宜しいですか?」
驚いてしまって、俺は涙を隠すために俯いていた顔を上げてしまった。手首を掴む力は、思いのほか強い。
「な、に言って……」
「貴方の」
ヤツは多分、真剣にこちらを見ている。
「貴方のお名前を、教えて下さい」
「何を、今更……知ってるんだろう」
二日も一緒に居たのだ。俺の名前が掲げられた葬式だって見ていた。
「貴方の口から、貴方自身を、教えて下さい」
だがヤツは、手を緩めようとはしない。
……ヘンなヤツ。仕方ないな。
「……ノゾム。ユウバシ ノゾム」
ヤツは手を離してくれた。
「ありがとうございます、ノゾムさん」
その声は、聞いたことがないほど穏やかだった。
「これで、私だけは。永遠に、貴方を忘れませんよ。貴方という、存在を」
「!」
ヤツは小首を傾げた。
「だって、私たち、夜中まで『ダベ』った仲じゃありませんか」
声が、どことなく楽しそうだ。
「……やめろよ……」
「あ、ごめんなさい!不愉快、でしたか……?」
おずおずとこちらを窺うヤツから、俺はまた俯いて顔を隠した。
「なんか、泣けるじゃないか。……ありがとう」
無性に、胸が温かかった。違う涙が、溢れてきた。ちくしょう。なんか、悪い気分はしないぞ。
「いいえ、どういたしまして」
ヤツは手を差し出してきた。
「握手をしましょう」
「ああ。友達だもんな」
「ええ、友達ですもの」
ぎゅっと手を握ると、心の底から笑いたくなった。どうしたんだ、俺。こんなに情緒が不安定だったか?
「お別れ、ですね」
「ああ。でも……」
俺はゆっくりと手を離して、真っ直ぐにコイツの顔の辺りを見た。まだ涙は乾いていないが、恥ずかしいと思う気持ちは消えた。
「どうせ、またすぐ逢えるんだろう?」
ヤツは一瞬黙った。そして
「ええ!そうでした」
この上なく嬉しそうな声で、笑った。
End.