〜第一章〜 暇人と異邦人、そして巻き添え

 ジズ・ムラサメは暇人だ。いつもふらふらと放浪し、金に困れば、いかがわしかろうがそうでなかろうが適当に職を見つける。最近も「ヤバイ依頼」をあっさり引き受けて見事に失敗し、散々追い掛け回されたばかりだ。
 「ああ、暇だなあ」
 既にこの男の口癖である台詞を吐き、彼は懐を探った。……寒い。恐ろしく寒い。ついでに言うなら意外に広い(蛇足)。
 (何か、イイ仕事ないかなあ)
 そんな彼が、大陸一の大都市に流れていったのは自然な事で。

 大陸首都・聖エルレス。法王の治める大都市である。この世界の各都市はそれぞれ長と呼ばれる者が治めているが、現在はその大部分が教会関係者である。首都を治める者が大陸の王であり、その王が法王であるから、教会の権力が強くなっているのだ。自然、教会の―――エルレス教の教えを守らない者に対しての迫害は厳しさを増している。しかし、この大陸の人間は大部分がエルレス教の信者であるため、殆どそれに疑問を持たない。……勿論、例外も居るが。
 「何が、神だ」
 首都の建物の影で、旅人は吐き捨てるように言った。その、凍った海を連想させる蒼い瞳は、忌々しげに白く大きな教会を睨んでいる。
 「……」
 深いフードにその強すぎる眼光を隠し、旅人は腰に差した短剣を確かめるように触った。この辺りの街では見かけない、優美な三日月形に反った短剣だ。
 (待っていろ……法王)
 すらりとした身体を翻し、旅人は酒場へと向かった。

 「はあぁ〜やっぱコレだねえ〜」
 大きなジョッキになみなみと注がれた酒を片手に、一人悦に入っているのはジズだ。こんな大きな都市の、法王のお膝元でさえ、人に言えない訳の一つや二つや三つくらい持つ者たち、そしてそんな者たちのための仕事が集まる酒場はある。ジズも職を探すために来たが、とりあえず一杯、と思うのは仕方ないだろう。顔見知りのマスターに拝み倒してサービスしてもらった命の水を、ありがたく頂戴する。
 「ああ、生き返る……」
 感動する彼の後ろで、入り口のドアが勢いよく開いた。途端に、店中の視線が一気にそちらに向かう。ジズもつられて視線をやった。
 どよ……
 周りからちょっとした驚きの声が上がる。来客はこの辺りでは見かけない、褐色の肌を持っていた。深いフードで顔は見えないが、身なりからして北の砂漠を越えてきたのだろう。
 「……」
 周りの視線も気にせずその旅人はまっすぐにカウンターに向かい、ジズの一つ飛んで隣の席についた。しなやかな身のこなしは、獣のようだとジズは思う。
 「水。こっちにも」
 旅人は無愛想に、革で出来た水袋を差し出した。その声はぶっきらぼうだが、若い。酒を頼まない若者に飛んでくるお決まりの野次がないのは、誰もが北の砂漠の厳しさを知っているからだ。店の主人もよく冷えた水を、渡された水袋とグラスにいっぱいに注いで差し出す。
 「ありがたい」
 旅人は水袋を腰に結びなおすと、フードを振り払い、グラスを手にした。ここでまた周囲から驚きの声が上がる。
 「へえ……」
 今度はジズも無意識に声が出た。フードの下に居たのは、歳の頃は17、8の、彼から見て「俺に負けないくらいイイ男」だった。もっとも、いかにも気安い彼とは違い近寄りがたい雰囲気ではあったが。
 褐色の肌に、深く冷たい蒼の瞳。無造作に切られているが、肌と同じくこの辺りでは見かけない、朝露に濡れる蜘蛛の巣のように輝く銀の髪。店に来ていた女たちや看板娘だけでなく、そのケのない男たちまでもが見とれている。
 本人はまた周りの無遠慮な視線も気にせず、グラスの水を一気に呷った。良い飲みっぷリだ。酒でもないのに周りから感嘆の声が上がる。見た目が良いのは得だとジズも知っていたがオマケに若いから最強だ、などと思う。
 「ねぇ、あなた、この街は初めて?」
 そんなジズの隣、つまり旅人にとっても隣の席に、いかにも「毒のありそうな」妖艶な女が座った。
 「いや〜俺こうみえても結構旅人で……」
 「どうなの?坊や……綺麗な髪ね」
 応えるジズをキレイさっぱり無視して女は旅人の耳元に囁きかけた。妖しい手つきで銀糸を指に絡ませる。
 「……触るな」
 女の手を鬱陶しげに振り払い、旅人は店主に短く水と食べ物を頼んだ。しかし勿論、そのくらいでは女は諦めない。
 「ツレないのね。でもそういうトコも可愛いわ……ねぇ、お話しましょう……?」
 言いながら身体を密着させてくる女に、旅人はやっと顔を向けた。
 「寄るな」
 それでも何か言おうとした女は相手の目を見た瞬間、息を呑んだ。そこにあるのは、どこまでも冷たい敵意。
 「……消えろ」
 女は逃げるように席を離れ、周りの人間も無遠慮に旅人を見るのをやめた。危険な雰囲気には、皆敏感なのだ。……敏感でも、それに頓着しない変わり者も居るが。
 「ああ、勿体無いな。結構イイ女だったじゃないか」
 当然ジズである。まだ半分酒の残っているジョッキを持って、よいしょ、と席を一つ移動した。狭いカウンターなので、互いの肩が触れ合わんばかりになる。旅人は少し迷惑そうに眉をひそめたが、お構いなしだ。
 「好みじゃなかったとか?」
 「……興味ない」
 無視されるかとも思ったが、旅人は返事をしてくれた。嬉しくなって、生まれた時から止まることを知らない舌は更に加速する。
 「え?君、もしかしてソッチの趣味?」
 じろり、と先程より剣呑な視線が飛んでくるが、「あはは、冗談冗談」と手を振って受け流す。
 「でもダメだろ〜。レディに恥をかかせちゃ」
 「え……」
 その瞬間、もし彼以外に旅人の顔を見ていた人物が居れば、その人物が男なら我が目を疑い、女なら母性本能をくすぐられまくっていた事だろう。旅人は、まさに「きょとんとした表情(かお)」をした。あの敵意剥き出しの、人を殺しかねない眼光の代わりに、純粋な驚きと疑問を浮かべた瞳がこちらを見ている。その幼ささえ感じられる瞳に、ジズは内心ひどく驚いた。先ほどまでの鋭い表情と違い、えらく可愛げがある。もしかしたら、予想より若いのかもしれない。
 「恥をかかせてしまったのだろうか」
 真剣な顔だ。どうやら本気で心配らしい。
 「え、と……まあ、そうだな、いや、なんだ、その……君は悪くないよ、うん」
 まさかそういった反応が返ってくるとは思ってもいなかった「大人」は、逆に後ろめたい気持ちになってうろたえる。
 「そうなのか?しかし恥をかかせたと……」
 「いい!子供はいいの!!」
 「そうなのか」
 「そう!」
 「ふむ……」
 とりあえず納得したらしい旅人は、出された料理に手を付け始めた。飲み方と同様、食べ方も顔に似合わず豪快だ。
 (これは……予想以上に面白いかもしれない)
 楽しげな予感に胸が躍る。「面白そうなコト」に無条件で首を突っ込みたがる彼は、その独特の嗅覚でもってこの旅人にそれらしいにおいを嗅ぎ取った。これから、趣味の探索は始まる。
 「ね、君、どこから来たの?北の砂漠を抜けてきたみたいだけど」
 「……詮索はしないほうが良い」
 「お、ツレないねえ。……まあ、そうだな。こちらから何も言わないのはフェアじゃないな」
 そしてわざとらしく咳払いをすると、殆ど聞いてもいない旅人の横で自己紹介を始めた。
 「俺はジズ・ムラサメ。東の方から来たんだけど、こう見えて結構、旅して長い。まあ見たとおりのイイ男で、それなりに修羅場もくぐってきたつもりだから頼りにしてくれていい。……いただき」
 言うなり旅人の皿からポテトをつまむ。
 「あ」
 「拝聴料だよ」
 「……割に合わない。名前くらいしかハッキリさせていないではないか」
 お、と少し驚いてみせる。
 「ちゃんと聞いててくれたんだ?」
 「……五月蝿いからな。耳に入った」
 「あはは」
 旅人はまた皿に視線を戻したが、何か思い当たったのか、ジズを見た。
 「ムラサメ、といったな?珍しい姓だ」
 「うん、遠いトコから来たんでね。……じゃあ、今度は君の番」
 「何故そうなる」
 「名前くらいはいいだろ?」
 「……」
 旅人は少し顔を背け、ぶっきらぼうに言う。
 「……シン」
 「へえ〜……」
 遥か西の国の言語では、「シン」は「大罪」を意味する事くらい、ジズも知っている。
 「で、シン、君は酒場に食事に来たの?」
 「……そうだ」
 「ふぅん……」
 教える気は無い、か。はてどうしたものか、と思うが、しかしここで引き下がる男ではない。
 「その腰の剣、綺麗な形をしているね。西の方で見たことあるなあ」
 「それがどうした」
 「ん〜。確か西の方には、えらく長生きする美人な民族が居たなあ、と思って」
 シンの顔色が変わった。鋭い殺気がジズを刺す。その素直ともいえる反応に気を良くしつつ、酒を一口飲んだ。
 自分でも言うように、ジズは旅して長い。銀の髪に褐色の肌、その組み合わせの民族がいることも知っている。但し……
 「最近見かけなくなったって話だけどねえ」
 シンは微かに顔を伏せた。こちらの胸が切なくなるほど痛々しい表情に、少しだけ後悔する。飽くまで少しだけ。
 「……お前は……」
 ややあって、シンは口を開く。
 「……神というものを、どう思う……?」
 「神?」
 いきなり何だろう。しかし相手の顔が真剣なので、とりあえず思うことを口にした。
 「さあてねえ……別に考えたこともなかったけど、居ても居なくても……あ、でも困った時には居て欲しいね。"神様助けて!"ってね」
 こういった事を教会の人間や役人に聞かれれば、とっ捕まって説教をたんまり喰らうか罰金をごっそり払うかなのだが、シンはどちらでもなさそうだった。
 「で?君は?」
 「……」
 ざわ、と周りの空気が動いたように感じられるほどの殺気が、一瞬放たれた。しかしそれはジズに向けてではない。他の誰か……何かに向けられた殺気だった。
 「そんなものは……居ない……!!」
 (ああ……そうか)
 彼は今まで、何度かこういった人間を見たことがある。天に裏切られた……必死の祈りが、届かなかった者たちだ。信じていれば信じているほど、疵は深い。
 「で、どうしてココに?よりにもよって法王のお膝元に来たんだ?」
 「……」
 シンは一瞬、どことなく縋るような目でジズを見、そしてすぐに顔を背けた。
 「これ以上は、聞かない方が良い。迷惑を掛ける事になる」
 ははあ、とジズは悟った。この子供は、何かヤバイ事を成し遂げに来たのだ。その為の仲間を得ようと酒場に来たのだろう。しかし、いざこうやってわざわざ声を掛けてくる物好きを前にして、踏み出せないのだ。一見どこまでも冷たそうに見えるが、やはり子供だ。それは他人を利用することを怖がる子供の優しさだ。
 「じゃあ、敢えて迷惑を掛けてもらいたいな」
 シンが驚きを隠さずこちらを見る。
 「おい……本当に迷惑な話なのだ。遊びではない」
 「構わないさ。今暇だし」
 そう、ジズ・ムラサメは暇人なのだ。面白そうなコトを目の前にして、黙っては居られない。
 「……本当に、良いのか?」
 「イイってば」
 「命に関るぞ?」
 「クドいよ」
 「……」
 シンは目の前の軽そうな男を見た。どう贔屓目に見ても荒事には向いていなさそうだ。信用できるかと聞かれれば、否、だ。しかし、この危険に見合うだけの報酬を用意して誰かを雇うことのできない以上、この男を逃すと、本当に独りで成し遂げねばなるまい。それはどうしたって成功の確率が低い。……シンはジズが考えているほど可愛い思考をしては居なかった。他人を利用することに確かに抵抗はあるが、見た目でジズが頼りない上に信用が置けなかったから、できれば利用したくなかったのである。ジズが「縋るような目」と感じていたのは、実は「縋りたくないな、という目」だった。
 縋りたくはないが……しかし、仕方あるまい。この男は引き下がらないような気がする。これは直感だが、シンは自分の直感に大層自信があった。
 「ここでは話しにくい。店を出よう」
 「お、乗り気になってくれたね」
 楽しそうな男に密かに溜め息をつくと、シンは残りの料理を一気に平らげた。

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