門の前には既に多くの警備団の人間が張っていた。そこまでは何とか隠れて辿り着けたが、流石に楽には逃げられないようだ。
「う〜ん。とうとう君の出番かな?」
ジズは腕の中のリディウスに微笑みかけた。可哀想に、無駄に暴れつづけてリディウスはすっかり疲れきっている。大声を出されると困るので口を塞いでいたが、そのせいで息も苦しかったのだろう。
「……好きにすれば良いでしょう?」
しかもヤケだ。目が据わっている。
「おい、他に出られそうな場所は無いのか?」
それにお構いなく、というよりは気付かずにシンは問い掛けた。ジズは肩をすくめ、リディウスは「知りませんよ!」と怒鳴った。彼女は「そうか」とだけ呟いて、また門の方を見遣る。
(ざっと20人、か)
倒すとなると面倒だ。人質―――これはシンにとってはとても嫌な行為だが、この場合仕方ないとして―――を盾に街を出て、幾らか離れた場所で解放しよう。追わないことを条件に解放する、と言っておけば距離もある程度稼げるだろうか。全ては奴らの良心に掛かっていると思うとかなり不安ではあるが、ジズの言う事も尤もで、仮にも法王直属の警備団だ。その名を汚すことは赦されない。一般人、しかも神学生をみすみす殺す訳にはいくまい。
―――異教徒ならともかく。
「よし、行くか」
「ちょ、ちょっと!今度は真正面から行くとか言わないよな!?」
「……行かない」
少しむっとした顔をして、シンは壁伝いに人の少ない方へと移動していく。ジズもリディウスを抱えつつ静かに歩く。「今度大声出したら……ね?」とにっこりと微笑まれてリディウスも黙ったままだ。
「居たぞ!!」
警備団の声が上がる。シンとジズはお互いを見て、頷く。そして走り出す。
「こっちだ!追えーーー!!」
複数の足音と怒号に追われるように二人(と少年)は門へ走る。シンが数人の門番をなぎ倒し、門に辿り着いた時、彼女とジズの間を一本の矢が通り抜け、門に刺さった。振り返ると、弓を構えた警備団員数人を従え、恐らく団長クラスの男が立っていた。
「逃げられると思うな。この逆賊どもめ!」
じり、と双方の距離が縮まっていく。重苦しく張り詰めた沈黙が流れる。
「まあ待ちなよ、団長さん?」
それを破ったのは、ジズののんびりとした声。
「ちょっとした縁で、こちらに神学生の坊やを預かってるんだけど」
ぴく、と団長の眉が上がる。リディウスは、あ、と小さく声を上げた。この男を教会で見たことがある。この人は、自分を助けてくれる。そう思うと張り詰めていたものが切れ、リディウスは必死にもがき、叫んだ。
「助けて!助けて下さい!僕は神学生です!お願いします、助けて……!!」
「おっとっと、落っこちるぞ、こらこら」
肩に担ぎなおされても、彼はなお激しく抵抗を続けた。すぐ目の前に自分を助けてくれる人が居るのだ。こんな悪党どもに拘束されているなんて、もう我慢が出来ない!
「放せ、といっても放してはくれまい?」
団長は静かに問う。荷物に手を焼いているジズに代わり、シンが応える。
「条件次第だな。このまま街を出させてくれれば、近くの村で解放しよう」
「そうか。それは呑めないな」
団長は一歩下がった。代わりに弓兵たちが一歩、出る。蒼ざめるリディウスは目に入らないのか、団長はシンを楽しげに見つめた。
「お前はあの一族だろう?」
「!!」
シンに向けられた視線は、嘲笑の色。
「一匹残さず狩ったつもりだったが、まあしぶといものだ……お前は、生きて返すわけにはいかん」
「……お前は……あの時、あの場に居たのか……!!?」
低く、低く問われ、団長は声を上げて笑った。
「居たともさ!神の為に、悪魔どもを狩る大役を与えられたのだ。光栄だったよ!」
「貴様……っ!!」
飛び掛かりそうなシンを、ジズが素早く、何とか胸に抱き込んだ。肩に抱えられていたリディウスは急に手を離されて落ちたが、こちらを向いたままの弓に足がすくんでしまってその場を動けなかった。
「放せ!」
「駄目だ」
「放してくれ……っ!!」
「駄目だ。……お願い、落ち着いて」
シンを抱く腕に力を込め、優しくなだめるように囁く。シンからは見えないが、ジズは珍しく真剣な顔で団長を睨んでいた。
「団長さん。だったら、このコはどうなるの?」
すぐ側でへたり込んでいる少年を顎で示す。会話の内容を完全に理解しているとは思われないし、推測も出来ていないだろうが、例の……シンの一族の話を聞かれているのだ。シンの話によると、それは極秘に行われた虐殺だ。黙って帰すとは思えない……そう心配するジズの予想は正しかった。団長は芝居がかった動きで手刀を作ってエルレスの礼をする。
「実に残念だよ。真面目で優秀な神学生が、賊どもの手に掛かって殉教するとはね」
「……!!?」
リディウスは、その空色の目を大きく見開いた。この人は、何を言っているのだろう。法王に仕える人が、そんなでたらめな事を言うはずがない。自分を助けてくれるに違いないのに。
「……立って」
団長を睨んだまま、ジズは少年に声をかけた。呆然とこちらを見上げるだけの少年の背中をそっと足で押し、支えて立たせる。腕の中の娘は飛び掛っていかないくらいには落ちついた。荒い息をして団長を睨みつけている。……子守りというのは、大変だ。そう思いながらジズは腰のポーチに何気なく手を突っ込む。相手からは、丁度シンの身体に隠れて見えない。
「俺らを捕まえる気はさらさら無いんだ?」
「その呪われた悪魔と共に居たのが運の尽きだったな」
「いいや。俺には天使さ」
だって、一緒にいて退屈しないからな。そう呟くと、ポーチから取り出した何かをにっこりと目の前に掲げて見せた。
「でも、一緒に天に召される気は無いんだなあ」
そして、投げる。団長が声を上げる前に、辺りにはもうもうと白煙が立ち込める。
「さ、逃げるぞ!」
背中でタックルして門を開け、促す。シンは一度、後方を睨みつけたが、門を出た。ジズは「君もおいで」と再びリディウスを抱えて走り出した。今度は大人しい。ついでに急いで門を閉じると、そこに矢が刺さる音が聞こえた。が、構わず走る。
「急げ!こういう時は、逃げるのが一番!」
後ろに怒号を聞きながら、三人は夜の街道をひた走る。流石にリディウスを降ろしたが、大人しく一緒についてきた。
「……口惜しいな……」
だいぶ街から離れた、街道からもそれたところで三人はようやく足を止めた。フードを振り払い、息を整えつつ、シンが呟く。
「まあ、また今度があるよ。生きていれば、また何度でも」
どこか清々しい顔で、ジズは笑う。
「生きていれば……か。そうだな。だから我はここまで来られた」
「……生きていたって……上手くいくもんですか」
シンのその横で、暗い顔をした少年は呆然と呟く。頬に残る涙の跡が痛々しい。
「どうして……僕がこんな目に遭わなきゃならないんだ!!どうして……!!」
「……ごめん」
ジズが優しくその手を肩に置くと、それを激しく振り払う。
「僕は帰る!」
瞳と同じ、空色の髪を振り乱して少年は叫んだ。その肩を、今度は強く掴まれた。シンだ。
「止めた方が良い。戻れば、殺される」
「そんな筈はない!僕は何も悪いことはしていない!」
「……していなくても、あいつらにとっては都合が悪いのだ」
肩を掴む手に、更に力が加わった気がした。驚いて見上げると、そこには胸を締め付けられるほど切なげな美貌が。思わずこちらの方が泣いてしまいそうになる。
「責任は、取ろう。お前が望む場所まで、連れて行こう」
「でも……」
リディウスは俯いて、足元を見つめた。白い靴は、一晩走りとおしてすっかり汚れてしまっている。
「……僕は、神に仕えようと一生懸命勉強してて……」
二人は黙って聞いている。
「もうすぐ、試験で……僕は、そろそろ神官の資格を得られる時期で……」
失ってしまったものが、あまりに唐突に失ってしまったものが、胸を去来する。
「巻き込んだ俺が言うのもなんだけど」
ジズが申し訳なさそうな顔で、間に入った。
「不慮の事故、みたいなもんだと思って……くれないよなあ?」
「当然です!!よくも……!!」
「どうしようもないことは、あるものだ」
シンが呟く。
「だが、それを嘆いたところでそれこそどうしようもない。……だから、我はここに居る」
神に牙を剥いた。上手くいく可能性なんて無きに等しかったし、実際に失敗してしまったけれど。
「そして諦めん。また、何度でもやってやる」
不敵に微笑むシンの背中側から、朝陽が昇り始めた。銀の髪が輝く。
「我は、しつこいぞ。それはもう、どうしようもない程にな」
肩を掴んでいた手が放されたが、リディウスはその場を逃げ出そうとはしなかった。戻っても危険なだけだと、頭のどこかではとっくに理解できていた。
「ああ、そうだ。我は、シン。お前は?」
名前も知らなかったことに気付いて訊ねるシンに、リディウスは思うところは色々とあるものの、真っ直ぐに顔を上げて答える。
「リディウス……リディウス・カルローテ・インティグラ」
「そうか」
微かに笑ったシンを押しのけるようにしてジズが割って入ってきた。
「俺はジズ・ムラサメ。よろしく、リディ」
整った顔でにっこりと笑う彼には、言いたいことが沢山ある。だが、リディウスは差し出されたその手をとる。もう、この手をとって行くしかないのだ。
「あの……あなた方は、何をしたんですか?」
さっきは「訊いたら卒倒する」と言っていたが、こうなったからには自分が何に巻き込まれたのか知っておきたい。
「あ〜……それは……」
「法王の暗殺に失敗した」
「そうで………………ええええ〜〜〜〜!!!?」
爽やかな夜明けに、少年の絶叫がこだました。
そうして、異邦人と暇人とその巻き添えの旅は始まる。
〜第一章・完〜