すっかり夜も更けた頃、やっと宴は落ち着きを見せ始めた。テーブルに突っ伏して眠ってしまったセシアスを起こさないように注意して、リディウスは席を立つ。もうだいぶ遅い時間だが、周りの空気に中てられて、眠くはない。
 族長に会おうと思って一歩踏み出したが、そういえば顔を覚えていない。仕方ないので周りの者に訊こうと思ったその時、背中を突付かれた。
 「ひゃあっ!」
 情けない声を上げて振り返ると、よく見慣れた笑顔。
 「リディ、族長さんを探してるんでしょ?」
 ジズだ。衣服や髪がやや乱れている。彼と固まって一緒に呑んでいた女たちは、部屋に戻ったりその場で寝ていたりしていた。あのテンションの女たちと巧く付き合ってスマートに帰した技量は流石としか言いようがないのだが、生憎、リディウスにはその偉大さが解らない。
 「あ、はい。でもどなたなのか」
 「ああ、俺も逢いに行くトコ。一緒に行こ」
 少年の細い腕を優しく引っ張って、ジズは族長の居るテーブルに向かう。
 「お、来たか客人」
 ギルバが白い歯を見せながらこちらを見た瞬間、リディウスは己の腕を掴む手に力が入ったのが分かった。
 「うん。呼んでたって聞いて」
 にこにこ笑ってはいるが、どことなく声が冷たい気がする。
 「そっちの坊主が、ええと、リ……リジ?」
 「リディウス・カルローテ・インティグラです。この度は助けていただいて、どうもありがとうございます」
 「ああ、気にするな。俺はギルバだ。まあ坐れ」
 「はい」
 礼儀正しい少年に人好きのする笑顔を向け、ギルバは真正面の二つの席を指し示した。最初、シンが坐っていた場所なのだが……
 「ねえ、シン?随分族長さんと打ち解けてるみたいだね?」
 飽くまでにこにこと、ジズは正面に―――ギルバの隣に坐るシンに話し掛けた。
 「うむ。色々よくしてもらっている」
 「ふうぅ〜ん、へえぇ〜。……言ってくれれば、俺が幾らでも『色々』『ヨク』してあげたのに」
 低音の囁きに込められたニュアンスに、ギルバや周りの者はぎょっとしたが、シンは涼しげに……何も気付かない。
 「充分協力してもらっている。気を遣うな」
 「……」
 ジズは大きく溜め息をついた。
 「あ〜あ。酔った勢いってコトでさ、ヤキモチ妬いてみせようと思ったのに。鈍すぎてその気も失せちゃった。つまんないの」
 「?」
 シン以外は皆引きつった顔をしているが、気にせず彼は席につく。顔色は何時もとまったく変わらないものの、とても(困った方向に)素直な辺り、確かに酔っているのかもしれない。
 「で?族長さん。話があるんでしょ?」
 「あ?ああ……」
 一つ咳払いをして、ギルバはジズに顔を向けた。
 「あんたら、随分法王に嫌われているようだな」
 「……ふっ」
 「まぁね」
 「……」
 シンは不敵に口の端を吊り上げ、ジズは何気なく応え、リディウスは俯いた。ああ、なるほど、とギルバはそれぞれの性格を推察しつつ、話を続ける。
 「まだ賞金は掛けられちゃいないようだが、気をつけろ。インチェはともかく、他ではヤバいだろう。凄い勢いで手配書が廻っている」
 「あらら、まいったね。あ、ちなみに罪名は?」
 「反逆及びその幇助」
 「そりゃイイや」
 改めて聞くと、やはり「反逆者」はシンのイメージにぴったりだ。それに、リディウスまで主犯扱いじゃなくてよかった。ジズが一人頷いていると、顔の両側に、にゅっと白い腕が伸ばされた。ラシャだ。そのまま抱きつき、ふくよかな胸にジズの後頭部を包み込む。
 「ねえねえ、何のお話?混ぜてよ」
 「俺たちがお尋ね者って話。ま、リディは濡れ衣なんだけど。ていうかラシャ、俺は嬉しいけどタタン兄に嫉妬されちゃう」
 「大丈夫よ〜。あの人の心は砂漠よりも広いもの。うふふっ」
 「はいはいご馳走さま」
 よく似た男女の、一見妖しいじゃれあいで話が一旦途切れた。が、シンが口を開く。
 「インチェの後は、南東の、オルレイラ山脈付近の村に行きたいのだが。どのルートで行くのが良かろう?」
 「それはまた遠くに行くんだな……少し待ってくれ」
 ギルバはじっと考え込むと、部下に命じて地図を持ってこさせた。テーブルに広げて、指でなぞりながら説明を開始する。
 「もっと北上して、ぐるっと東を廻り込んで行くのが安全といえば安全だが、環境的には相当厳しいルートになる。砂漠も続くし、山もある」
 「時間も掛かりそうだな」
 「ああ。数ヶ月はみておいた方がいい。だが、警備でいえば東は手薄だ」
 「南はどう?」
 ジズが訊くと、ギルバは難しい顔をする。
 「奥まで行けば人すら居ないが、それまでは駄目だな。何故だかここ数年、南に警備が集中してるんだ」
 おかげで仕事はやりやすいがな、と付け加えると、周りの砂賊たちはにやりと笑った。
 「兎に角、東の大都市を避けていけば巧く南側に抜けられるはずだ。あんたらの力量に掛かっているが……大丈夫だろう?」
 「できないことはなかろう」
 「余裕余裕」
 二人とも何の根拠もなく自信はある。おかげでリディウスが一人で胃を痛めることになるのだが。
 「それは頼もしいな」
 とギルバは笑い、椅子に深く腰掛けた。横に坐るシンを見る。
 「まあ、インチェには三日ほど滞在するつもりだ。その間、ここに泊まっていい。俺たちと行き先が被るなら、送らせてもらう」
 「それはありがたいが、あまり関わると迷惑が掛かる」
 「気にするな。俺たちは砂族。法王など恐れはしないし、負けもしない」
 砂漠の王は、鋭い眼光で不敵に笑う。だが、
 「とかカッコつけちゃって。単にシンくんのことが気に入ったんじゃないの?」
 ラシャのその一言で、顔を真っ赤にして慌てふためいた。
 「な、ちょ、ばっ……いや、確かにシンは面白いヤツだ、気に入った、文句あるか!」
 おまけに開き直った。普通ならここで皆揃って「若さま」をからかう処だが、先程シンに見惚れてしまった男たちは何も言えない。
 「ムキになっちゃって……別に含みはなかったんだけど、そこまで開き直られるとちょっと色々勘繰っちゃうなあ」
 ラシャがにやりと笑う。ギルバに「そのケ」がないのは充分承知だが、明らかに狼狽ぶりを楽しんでいる。その横で、ジズは頬を膨らませた。
 「シンは俺のだってば」
 「黙れ酔っ払い」
 即座に本人から突っ込みが入る。
 「照れなくてイイのに」
 「……本格的に幸せな男だな、お前は」
 呆れながら、シンは気難しい顔をして口を閉じた。聞いていて気恥ずかしくなってくる。これだから酔っ払いは……いや、酔っていなくても酔っているようなものか、この男は。
 「あ、あのぅ」
 おずおずと、それまで黙っていたリディウスが手を挙げた。
 「はい、リディウスくん。どうぞ」
 相変わらずジズの頭の上からラシャが笑顔を向けると、少年は顔を赤くして俯いたが、しっかりとした声で話し始めた。
 「はい。あの、僕の故郷には、多分もう追手が来ています。だから、無理をして連れて行って下さらなくても良いです」
 「しかし、帰りたいのだろう?」
 シンの問いかけに、少年は―――無理をした笑顔で、応える。
 「ええ、でも、急ぎません。いつかちゃんと無実を証明して……何かは知りませんが、彼らがシンさんたちにしたことを、神の裁きの前に晒して。それからでも」
 それはどれだけ気の長い話だろう。そして、どれだけ望みの薄い話だろう。話を聞いていた砂賊たちも口をつぐむ。
 「……分かった」
 シンはその鋭すぎる眼光を真っ直ぐに少年に向けた。
 「確かに、お前の安全が確保されねば帰す意味はないな。ただ我があやつを殺すだけでは済まない話だ。徹底的に、やろう。だが……」
 口の端が不敵な笑みを形作る。
 「我は、短気でな。あまり時間を掛ける気は、ないぞ?」
 「シンさん……!」
 それはつまり、ただでさえ苦しい状況にありながら、安全に、本当はすぐにでも帰りたいという彼の望みを叶えようと言うのだ。思わず泣きそうになる少年の背中を、横に坐る男が叩いた。
 「大丈夫だよ、リディ。俺もついてるからね」
 にこにこと笑うその顔が、いつもより頼もしく思える。背中を叩く手が、意外と大きいからかもしれない。
 「はい……!ありがとうございます!」
 そして見せた少年の涙混じりの笑顔に、周りの砂賊たちはほろりときたらしい。
 「うおおおお!!若!!俺たちは!!俺たちは!!!」
 「若!ちゃんと分かってるだろうな!!?」
 「若〜〜〜〜!!!」
 「五月蝿い!分かってるよ!!」
 もらい泣きしそうになっていたギルバは大声を出した後、誤魔化すように一つ咳払いをしてリディウスに顔を向けた。
 「リディウス。砂漠に居る間は、俺たち砂族もお前についている。全面的に協力させてくれ。なあ、皆!」
 おお、と周りから賛同の叫びが上がる。
 「あ、ありがとうございます!」
 少年は胸に熱いものを感じながら頭を下げた。砂の民の優しさが、純粋に嬉しかった。また泣きそうになる。
 良かった、本当に。
 奇妙かもしれないが、リディウスは思った。
 僕を連れ去ったのがシンさんとジズさんで良かった。砂「族」の皆さんと出逢えて良かった!


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