しっかりとした造りのドアを、二回、ノックする音が響いた。
「ラシャ、起きてる?」
囁くような声に、部屋の主はドアを開けて応える。
「なぁに?あたしと寝たいの?」
あっけらかんと言うが、
「そんな気分じゃないなあ」
訪問者も、あっけらかんと応える。
「あたしも。ていうか人妻だも〜ん」
「じゃあ、逆に寂しいんじゃないの?」
「やだ、あんたやらしい中年みたいよ」
「あはは」
ふざけながら、ラシャは訪ねてきた従兄弟を部屋に招き入れた。
「どうしたの?」
「ん、ちょっと訊きたいことがあってね……ああ、ありがと」
酒の入ったグラスを受け取りながら、ジズはテーブルの上に腰掛けた。正面でラシャもベッドに坐る。大きな天蓋のついた立派なベッドだ。
「それにしても良い部屋だね。バイトって嘘でしょ?」
「うふ、ちゃんと働いてるわよ。でも、ま、同時に貴賓さんでもあるかしら。昔、ココの先々代と手を組んでお役人と戦ったことがあったの。ギルバも覚えてくれてたみたい。ちっちゃかったのにね〜」
ま、あたしみたいなイイ女は忘れられないわよね、と付け足して笑う。
「成る程ね。よっぽど強烈だったんでしょ」
ジズも笑うが、二人の間には何の疑問もない。
明らかにギルバの方が彼らより年上に見えるのだが。
「で?訊きたいことって?」
「ああ、うん。法王のコト」
「無粋ね。新婚生活についてかと思ってたのに」
拗ねたような表情(かお)をしてみせるが、彼女は少し姿勢を正した。
「知ってることなら答えるわよ。ただ放浪してるだけのあんたよりは、社会情勢に詳しいつもりだから」
「だから頼ってるんだよ」
「そりゃそうよね。で?どういうことが知りたいの?」
「異教徒の迫害。いつ頃から厳しくなってる?」
「そうねえ……」
ラシャは少し考えてから、口を開く。
「目立ち始めたのは5年位前。今の法王が即位して、暫くしてからだわ。丁度その頃、教団内部で騒ぎがあったの」
「へえ、どんな?」
「お偉いさんたちが、ごそっと投獄されたの。まあ、表向きは自主的な引退、ってコトになってるけど。消息も不明だし、もうとっくに殺されてるのかもね。内部で対立でもあったんじゃないかしら」
「神の御許って、怖いねえ」
二人は無邪気に笑った。
「でもラシャ。今の法王はかなりリベラルな人、って噂を聞いてたけど」
「うん、そうなのよね。即位した直後、異教徒を認めるってスピーチをして大騒ぎになってたわ……どうしたのかしらね」
「ふぅん……ま、いっか。ね、2年くらい前に法王の私設軍が動いたって話は知らない?」
ついでのように訊いてみると、ラシャは眉根をひそめる。
「2年前もなにも、実は結構ちょこちょこ動いてるのよ、あいつら。異教徒の小さな集落だったら、何個か潰されてるわ。酷い話よね」
「そうだね……」
ジズの脳裏に、シンが時折見せる悲痛な表情が浮かぶ。あんな子供がこんな思いをしている。酷い話だ。
「あ、それから。法王とは関係ないことだけど、教えとくわ」
「ん?」
彼女の表情が少し、翳る。ジズも何かを察したらしい。少しイヤそうな顔をする。
「シスイも、南東に向かってるらしいの」
「……へえ」
ジズの声に、何時もの楽しそうな響きは一欠けらもなかった。目も笑っていない。
「逢っても喧嘩しないでね」
「あいつによるよ」
予想通りの返事に苦笑して、ラシャは肩をすくめた。昔から、このコとあのコは仲が悪いものね。
暫く他の『身内』のこと(主にタタンのことで、つまりラシャのノロケだが)やジズたちの道中、砂族のことなど、雑談が続いた。ふと、会話が一段落着いたとき。
「ところで……ジズ」
彼女はグラスを傾けると、ジズの目を見た。
「シンくんって、あれでしょ?西の遊牧の……」
「うん」
シンの一族のことを、ラシャも知っている。その民族性……飛び抜けて長い寿命のことも。
「ねえ……何時まで、あのコたちと居るつもりなの?」
そして向けられたどこか寂しげな瞳から、にこりと微笑むことで逃れて、ジズもグラスを傾ける。
「そうだねえ、ま、一段落着くまでかな」
「ジズ、深入りしちゃ、駄目よ?」
彼女の言っていることは、危険だから、という意味ではない。
「分かってるさ。……ツラくなりそうだったら、逃げるもん、俺。ああ、でも約束は守るつもりだよ。あのコたちを見捨てはしない」
それをよく理解した上で、彼は微笑む。よく、解っている。ずっと一緒に居られることで、自分が「辛く」なりそうなことも。
……言われると思ったんだ。だから、君に逢いたくなかったのに。思い知ってしまうから。
ラシャは痛々しいものを見るような目で彼を見つめる。
「あんたは本当に、人と……深く関わることを、やめないのね。
―――「あたしたち」はいつも、置いていかれるのに
「寂しがり屋だからさ」
―――いつも、置いていかれるけど
「強いのね」
「弱いんだよ」
グラスの残りを一気に呷り、
「ごちそうさま。ありがとね」
彼はにこやかに手を振って部屋を出た。
「……」
残されたラシャは溜め息をつく。
「……置いて逝かれて、泣いてたクセに」
思い出すのは、遠い日のこと。
『ラシャ姉ちゃん……俺、なんでこんな一族に生まれちゃったのかな』
いつも笑ってすべてを誤魔化す彼が、静かに泣いて呟いた日。
あの日のことは鮮明に思い出せる。あの意地っ張りは、教会が高らかに鐘の音を響かせるまで泣き声を漏らさなかった。
「ホントに、馬鹿なんだから」
辛そうに眉根をひそめて、彼女はベッドに横たわった。
寝苦しい夜になりそうだ。