いつまでも溢れ出すものだと思っていた涙は枯れた。
 血を吐いてもなお叫びつづけた喉は潰れた。
 やがてのろのろと立ち上がり、穴を掘った。
 皆を葬った。
 身体は動いた。頭とは違い。
 皆が居ないのに、自分は居る。生きて、居る。
 焼け残った道具を集めた。
 殆どは逃げていたが、僅かに残っていた家畜を捌いた。
 生きるために。
 意思など無かった。ただ、体が動いた。
 生きるために。

 ああ

 ―――心が、渇く。


 「あの……シンさん?」
 数十分続いた沈黙に耐え切れず、リディウスはおずおずと横に居る人物に話し掛ける。
 「っ……何だ」
 考え事をしていたのだろうか、いつにも増して表情の無かったその貌(かお)が、微かに驚きに揺れた。すぐに無表情に戻るが、人間味を感じられてリディウスは密かに嬉しかった。横の麗人ときたら、ずっと人形のように動かなかったものだから、心細くて仕方なかったのだ。
 「どうした、何が言いたい」
 「えと、その……ジズさん、遅いです……ね?」
 話し掛けてはみたものの、話すべきことは何も考えていなかったため、すらすらとは言葉が出てこない。今ここに居ない男ならそういうことは無いのだろうが。
 「三人分の荷だ。多少時間は掛かるだろう」
 「そう、ですね……」
 そしてまた、沈黙。
 ここは村の近くの、枯れた森の中。既に手配されているかもしれないので、三人で村に入るのは危険だと判断し、ジズが単独で物資を調達することにしたのだ。
 シンは資金を手渡す時、リディウスには聞こえないように
 『このまま逃げても良いのだぞ』
 そう、心から言っておいた。彼は最後まで付き合うと言ったが、やはり、いつまで続くとも知れない上に、かなりの危険を伴う私怨に付きあわせては悪い。金さえあれば、諦めるかとも思ったのだ。暗殺計画に付き合ってくれた報酬にしては少ないが。しかしジズは
 『もお!クドいなあ!』
 と、いい歳をした大人にもかかわらず頬を膨らませた後、またころりと表情を変えて
 『じゃあ、いいコにしてるんだよ』
 と、シンの頭を撫でまわして去っていった。何か言おうとするシンと、何も知らないリディウスを残して。
 それから数十分。この森のどこからか不気味な鳴き声も聞こえてくる。
 (ああ、ジズさん、早く帰ってこないかな)
 自分を巻き込んだ張本人の帰還を待ち遠しいと思うのは異常だろうか。
 だが、正直、リディウスはシンが怖かった。
 何を考えているか分からないし(ある意味ジズもだがそれは置いておくとして)、行動は野性的で暴力的だ。雰囲気も近寄りがたい。ぶっきらぼうなところも苦手であった。優しさと礼儀はあるのは分かる。だが、人目につくところではフードに隠しているその瞳には、底知れぬ何か、冷たくて恐ろしいものがある。それに第一、法王を……
 リディウスの評価では、人間的に信頼できるのはどちらか選べと言われたらシンの方だが、一緒にいて気が楽なのは間違いなくジズの方であった。
 (うぅ、気まずい)
 ちょっと胃の辺りをさすりたい気分になっていたとき、
 ばさばさっ!
 「わぁっ!」
 唐突に、羽音。驚いて思わずしゃがみこんでしまったリディウスに構わず、美貌の同伴者は何の表情も宿さない視線を音の方に向ける。
 「鳥か……」
 呟き、また視線を戻す。腕を組んで枯れ木に寄りかかる姿は、ジズが出て行ってから少しも変わらない。
 (シンさん、格好良いな……)
 恥かしさを覚えながらリディウスは立ち上がった。シンは怖いが、物音程度で動じないその姿勢は頼りがいがある。
 (きっと今も、僕の考えも及ばないことを案じているんだろうなぁ)
 静かに思案にふける麗しい横顔をこっそり見ながら勝手に彼はそう思っていたが、確かにその考えは合っていた。
 (鳥……捕らえて喰うか……)
 本人は、腹が減っていたのだ。
 そんなことは勿論知らないリディウスだが、やはり気まずさに耐えかねたのか、
 「あの、シンさん」
 勇気を出して、もう一度。
 「何だ」
 ぶっきらぼうな返事は同じだが、今度は焦らない。簡単なことから会話を持ちかければ良いのだ。
 「失礼ですけど、お歳は?」
 「じき17だ」
 「え!じゃあ僕と1、2歳しか違わないんですね」
 「15か」
 「はい」
 応えた後、何気に会話が続いているのに気が付いた。そういえば、思い返してみるとシンはジズを相手にしていても、話し掛けられればちゃんと返事をしている。意外と、話すこと自体は嫌いではないのかもしれない。少し希望が見えてきた。
 「ご出身は?」
 見えてきた光明に縋りたくて、ちょっと馴れ馴れしいかも、怒られるかも、とびくびくしつつ、更に会話を続けようと試みる。
 「北西の……砂漠と草原の境目辺りで生まれたと聞く」
 言葉を発するのにかなりエネルギーを使っているリディウスと違い、シンは淡々と、きちんと応える。根が素直なのだろう。
 「へぇ。どんな所なんですか?」
 「さあな」
 そこで言葉を切るので、リディウスは相手の機嫌を損ねてしまったのかと思ったが、
 「我らは年中移動していたからな、誰も正しい位置を覚えておらんのだ」
 少し遅れて言葉が続いた。彼はほっとした後で、少し自分はシンの言動に過敏すぎるような気もした。怖いから仕方ないといえば仕方ないのだが。
 「お前の故郷は?」
 少年の心中など知らず、シンは訊き返す。
 「え!?」
 まさかあちらから会話を振ってくるなどと思っても居なかったため、リディウスは焦る。ああ、心臓に悪い!
 「たしか、南東だと言っていたな?」
 「は、はい!ノーランという所です!」
 (うわ、うわあ!シンさんが普通に会話してる!!)
 なかなか失礼なのだが、彼は純粋に驚いた。今まで、シンから「普通」の会話を始めたことは無い。シンから話し掛けるといえば、いつも必要なことだけだった。
 これは物凄く貴重なことかもしれない!
 と、一人興奮していたら、例の蒼い瞳がじっとこちらを見つめているのに気付いた。そうだ、質問されたんだ。応えなくちゃ!
 「ええと、小さな村です。オルレイラ山脈の麓の。長く帰っていないけれど、良い所ですよ。静かで、のどかで」
 相手は頷く。
 「僕の家は、村に一つだけの教会なんです。あ、とても小さくて、首都の教会とは比べ物にはならないんですけど、ステンドグラスが……」
 そこまで喋った時、一瞬辺りの空気が冷え切ったような感覚を覚えた。驚いて口をつぐむ。これは……殺気、というのだろうか……
 「……どうした。続けろ」
 声には、先程までは感じられなかった冷たさが横たわっている……ように感じられる。
 「……いえ……」
 ただでさえ畏れをいだいている相手にそのような態度を取られては、少年は俯くしかなかった。そうだった、この人は「首都の教会」の主を憎んでいるのだ……
 涙目で俯く少年を見て、シンの方も実は戸惑っていた。何故、泣く?それに、ステンドグラスがどうしたのだ?
 シンとしては、単に「教会」という単語を聞いて昨夜の失敗を思い出し、ちょっとむっとしただけだ。表情の代わりに、雰囲気が雄弁に物語っていたことなど知らない。だから、いきなり泣かれても困る。だが、こういう時に何を言うべきかも知らない。
 お互いに解決法の無い沈黙。
 (……あいつなら、こういうことも無いのだろうか……)
 (……まだかなぁ……)
 同じ人物を頭に描いた二人から、同時に溜め息が零れた。

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