「ねーねー。いぬっておいしいの?」
「おにいちゃん、あそぼうよ〜」
「ボクね、毛皮のマントがほしいの!頭、ついたままの!」
子供たちが、庭先で野犬の処理をしているシンとジズに纏わりつく。幼さ故か、シンを怖がる素振りもない。
「犬もね、調理によっては美味しいよ。今夜はお兄ちゃんが何か作ってあげるね。ああ、これが終わったら遊ぼうか。何して遊ぶ?おもちゃでも作ってあげようか。あ、マントも作ってあげるよ。この犬、ほら、君と同じくらいの大きさだ」
笑顔で応えてやるのは勿論ジズの仕事だ。シンは、珍しい色の髪を触られたり、背中に乗られたりなどされるがまま、黙々と野犬に刺さっていたナイフを丁寧に拭いて仕舞い、手馴れた様子で毛皮を剥ぎ、腸を除け、肉を捌いている。昔も家畜を襲う野犬や狼をこうやって始末したものだ。
「シンさん!」
そこへ足を引きずりながら、フュレイラがやってきた。同じくらい、そしてもうちょっと上の年頃の少女たちも一緒だ。彼らを見て小さく歓声を上げている。滅多に人が来ないこの「家」に、見目も麗しい客たちが来たのだ。皆はしゃいでいる。
「……まだ歩かない方がよい。引きずって歩くのが癖になると、厄介だぞ」
「大丈夫です!」
「根拠が無いな」
「う……」
容赦の無い物言いは彼女の特徴で、本人に悪気はなく、むしろ心配しての言葉なのだが、慣れていないフュレイラにとっては厳しく感じられる。言葉に詰まって俯く少女に、シンはかけるべき言葉を知らない。
「ああ、ほら、シン。また誤解を招くような言い方を……」
「誤解?真実だが」
「あのねえ、ものには言い方ってのが……まあいいや。ああ、でもフューリー、ホント、まだ歩かない方がイイよ?あとでお見舞いに行くから、休んでおいで」
「はい……」
それでも、怒られた気分になっている少女は俯いたままだ。ジズは苦笑した後、
「勿論、シンも一緒に連れてくから」
と付け足した。
「は、はい!」
顔を真っ赤にして、少女は他の少女たちに肩を借りて「家」の中へ戻っていった。ジズはまた苦笑して、横の麗人に声をかける。
「お年頃だねえ……君なんかよりずっと」
「?」
背中に子供たちをぶら下げたまま、ジズは独りで頷くのだった。
「素敵な礼拝堂ですね」
久々に祭壇の前で祈りを捧げた後、リディウスはついてきてくれたアディスに笑顔で振り返った。彼が笑顔を見せるのも久しぶりのことなのだが、彼女は知らない。
「ありがとうございます、リディウスさん」
年上の女性から丁寧に呼ばれて、なんとなく照れる。彼らは連れ立ってゆっくりと歩き出した。礼拝堂を出て、子供たちの横を通り抜け、「家」に戻る。彼は図書室として使われている小さな部屋で、お茶を頂くことになった。のんびりと会話を楽しむ。
「お祈り、とても正式なものでしたね。神学を学ばれているのですか?」
「はい、神学生です。あ、今は、その……旅の途中で、勉学に励めては居ませんが」
彼女はまた静かに微笑んだ。その落ち着きに、リディウスの心は安らぐ。彼女は32歳というが、その落ち着きはもっと歳を経た者でも醸し出せないだろう。
この孤児院には、0歳から17歳までの子供たちが、二十三人。大人は彼女と、もう一人、21歳の神官見習の女性だけだ。その女性も、ここの出身だと言う。
「イティ、という子です。イティは、私がここに来た頃……もう、10年前ですが、丁度その頃にここに来たんですよ。私もあの子も、なかなかこの『家』に馴染めなくて……一緒に頑張った、友達なのです」
「まあ!嬉しいこと言ってくれますね、先生!」
張りのある快活な声と共に、エプロン姿の若い女が部屋に入って来た。満面の笑顔だ。
「あら、噂をすれば」
アディスもにこやかに微笑む。
「ご紹介しますわ。彼女がイティ。この『家』の一員です」
「初めまして、イティさん。リディウス・カルローテ・インティグラといいます」
「初めまして!ようこそいらっしゃい。今日からヨロシクね。お姉ちゃんって呼んでいいわよ」
イティは、がっし、と彼の手を掴んで大きく振った。
「イティ、こちらはお客様です。『家族』になる人ではありませんよ」
「あら!まあ、失礼!」
大げさに驚いて、イティは照れ笑いをする。元気な娘だ。
「他にお二人、お客様がいらっしゃいます。今夜はお泊りになりますので、シーツの準備、お願いできるかしら?」
「ええ!任せて下さい」
「ありがとう。手が空いたら、ご挨拶に行ってらっしゃいね」
「はい!じゃあ早速行ってきますっ」
どたばたと走り去っていく彼女をにこやかに見送り、アディスはまたリディウスに向き直った。
「ごめんなさいね。元気な子で……びっくりしたでしょう?」
謝りながらもその笑顔は、どことなく楽しそうだ。
「いいえ、お元気なのは良いことです。明るくて、優しそうな方ですね」
アディスは微笑みながら軽く頭を下げた。「子供」の一人を誉められて、嬉しいのだ。
暫くこの「家」やここに住む「家族」について彼女から聞いた後、話はリディウスたちのことに移った。
「貴方がたは、ご兄弟……でもなさそうですね。お友達ですか?」
「え、ええ、まあ、そうです」
「お友達と、ご旅行?」
「はい、ええと、一応」
「でもこんな山奥まで、大変でしょう?」
「僕は、いつもシンさんとジズさんに助けられてばかりで」
急に歯切れが悪くなった彼を慮ってか、彼女は詳しく訊くことはしなかった。そしてふと会話が途切れたとき―――
「アディスさん。神を信じるということは、如何なることでしょうか」
リディウスが、切り出した。机の上を見つめたまま。
「それは……」
「神学で学べる定義、ではなくて……その……僕は……僕は、神を信じています。敬愛しています。ですが……ですが、エルレス教は、本当に……いえ……すみません……」
押し黙った少年を、神官は優しく見守る。迷える者を、慈悲の瞳で。
「悩んで、らっしゃるのですね」
「……」
「貴方は、とても純粋な信仰心を持っておられるのでしょう。そしてそれ故に、苦しんでらっしゃる。貴方は、神を信じていますね。ですが、今の貴方は、信じることが当然、というのではなく、義務のように感じている段階なのではないのですか?」
「そんな……ことは……」
ぐさり、と何かが胸に刺さる。少年は俯いたまま顔を上げられない。
「ただひたすらに信じることはできない何かが、あるのですね」
「僕は……」
暫く沈黙が続いた。
「……そうですね。少し、歩きましょう」
冷めた茶の入った質素なティーカップを机に置いたまま、神官は少年を連れて再び外に出た。建物の裏手にあるやや広い庭では、子供たちが遊んでいる。
「ほら、見て下さい。皆楽しそうでしょう?」
「はい」
子供たちは、無邪気に笑っている。歳の上の子供たちが、自分より下の子供たちの面倒をみている様子も見受けられる。
「この子たちの心の支えは何だと思いますか?」
神官は穏やかにリディウスに語りかけた。
「犯罪や、事故、天災……あるいは親に捨てられても、彼らが笑っていられるのは……『家族』と、信仰があるからです」
子供たちの中には、体の一部を失っているものも、少なからず居た。
「貴方の問に、お答えできるかわかりませんが……私は、信じるということで皆が楽になるのならば……救われるのならば、それでよいのかもしれないと、思うのです」
神官はゆっくりと、噛み締めるように言葉を紡いだ。
「信じる対象が、何であっても……実在しても、しなくても」
それは、神の存在がどうであっても構わない、という意味にも取れる。
「そんな!貴女も、神に仕える身でしょう!?」
何かを失いそうな気がして、リディウスは叫んだ。相手は哀しげに微笑む。
「見て下さい。あの子たち……何故、敬虔な信者だったロペスのご両親は強盗に殺され、あの子は右腕を失ったのでしょう?それは、『日頃の行い』の所為と云えますか?」
「それは……」
「楽観的にみれば、あの子まで死ぬかもしれなかったのを、神が助けてくれた、ということもできるでしょう。ですが、何の苦しみも無く、人々の幸せを奪う者も、居るのです」
「……」
「フリーティア……あの子はここに来た頃、口もきけませんでした」
視線の先には、明るく笑う少女が居る。小さい女の子に花の王冠を被せてやっていた。
「目の前でご両親が殺されて、あの子も……」
神官は言葉を切り、目を伏せる。それだけで、少年は少女の身に起こったことを推測できた。神官はまた目を開いて言葉を紡ぐ。
「あの子は、口をきけるようになった瞬間、神を罵っていましたわ」
ここにシンが居れば、どういう反応を示すだろう。少年は落ち着かない心の隅で、連れのことを思った。
「ですが、今は……私と皆に逢えて、よかった、と。笑うのです。ここで暮らせることを、神に感謝する、と……ここで、神官になりたいんですって」
静かな微笑。リディウスはそれを正面から受け止めることはできなかった。
「僕、は……」
俯く彼に、神官は静かに語りかける。
「宜しいのですよ。これは、私の考えです。貴方は、貴方の信じる道を、しっかりとお歩きなさい。神学の徒は、一度は、悩まねばならないと思うのです」
ゆっくりと顔を上げる少年に、アディスは穏やかな笑顔を向ける。
「私は、もしかしたら『神』とは、私たちを幸せに向かわせる大きな意思のようなもの、かもしれないと思います。それは、私なりの、私だけの『神』かも知れませんが……」
彼女はエルレスの礼をした。
「貴方に、『神』のご加護があらんことを」