警備中の男は、いつも以上に緊張していた。
 今日は、「法王」がこの館の「主賓」に逢いに来ている。粗相をしでかす訳にはいかない。
 おまけに。
 男はこっそり溜め息を吐く。
 味方にすればこれ以上ないほどの戦力になるが、それ以外では絶対に関わりたくないあの男まで、この館に滞在している。昨日ふらっとやってきて滞在を決め込んだあの男は、男と思いたくないくらい綺麗なくせに、人間と思えないくらい冷酷なのだ。親しげに挨拶した同僚が、ただ「馴れ馴れしい」、それだけであばらを折られた。
 『運が良いな、貴様は。刀の手入れが終ったばかりでな、汚したくなかった』
 と、悶絶する被害者に言ってのけたその麗人は、今、勝手に客間を占領している。何故だか当然の如く食事まで用意してしまっている自分たちが情けないが、仕方ない。そうせねばならないような雰囲気が出来上がってしまっている。
 男はまた溜め息を吐くと、顔を上げた。二人でこの裏玄関を警備しているのが常なのだが、生憎、この時間のもう一人の担当は、昨日あばらを折られていた。自分が常以上にしっかりせねば。
 やがて、真っ直ぐ前を見ていた彼の視界に、神服を身に纏った二人組みが映りこんだ。
 「お役目、ご苦労様です」
 片手を手刀にし、エルレス式に二人は頭を下げた。男もエルレスの礼で返すが、眉をひそめる。
 「ん?お前たち、見ない顔だな」
 村の教会から、子供に持たせることを条件に「主賓」へ衣類や書物などを届けさせているのだが、いつもの子供と違う。付き添いの神官も、いつもの老人ではなく、若い男だ。
 「はい。神官様が持病のぎっくり腰を……いつもこちらに伺っている子も、その看病でして」
 付き添いの男の方が、云いながら苦笑する。その憎めない笑顔に、警備の男もつられて苦笑した。
 「それは気の毒なことだ。お大事に」
 「ええ、どうも」
 付き添いの男はまた手刀を作って礼をすると、
 「あんたもね」
 楽しげに云いながら顔を上げた。次の瞬間には、その手刀は警備の男の首筋に吸い込まれていた。
 崩れ落ちる男を片腕で支えて、付き添いの男……ジズは、空いた手で後方に合図を送る。老人たちが無言で動き始めた。そして、白い人影も。
 「よくやった」
 擦れ違いざまに言葉をかけてくる娘へ、ジズは優しく返す。
 「ん。頑張ってね、気を付けて」
 「ああ」
 娘は、館の中へ吸い込まれていった。ジズは抱えていた男を老人たちに引き渡すと、横に居る少年に微笑みかける。
 「見張りが一人で助かったよ。さ、俺たちも行かなきゃ」
 「はい」
 決戦が、始まった。

 音もなく館内に進入したシンや老人たちは、辺りにまだ気付かれていないことを確認すると、密やかに行動を開始した。発見されることは覚悟しているが、それまでにできるだけ深部にまで侵入しておきたい。
 老人たちはやがて、それぞれの役目を果たすために方々へ散る。一番慎重に動いているのは「真の法王」を探す者たちだ。ジズ、そして老人たちと同程度には戦力になりそうなリディウスも、彼らに合流することになっている。他には退路を確保する者、見張る者、連絡を繋ぐ者、隠し部屋や逃げ道がないか確認する者。そしてシンは独り、「法王」の部屋を目指す。
 思っていたよりも警備の人数が少ないことは幸いだったが、やがて怒号が起こった。誰か発見されたのだろう。
 急がねば。
 シンは白のローブをはためかせ、疾走する。
 その背を、独り、見つめる者があった。彼はその美貌にうっすらと笑みを刷くと、愛刀を手に逆方向へ滑るように歩き始めた。子供には興味が無い。それよりも、待ち焦がれた遊び相手に早く逢いたい。
 
 騒がしい、と気付いたときには、彼の下へ兵士が駆けつけていた。
 「お逃げください!何者かの襲撃です!」
 「……」
 溜め息を吐きながら、彼は読んでいた本を閉じた。
 「私が、何処かへ逃げてどうするね?今日ここを襲うということは、私か、弟が目当てだろう?」
 「ですから……!」
 「だからだよ、ティクサくん」
 彼は、自分を見張っている青年の名前も知っていた。彼が身に付けているマントの白い刺繍は、自分が戯れで施したものだ。
 「侵入者の目的は解らないが、私たちのために、君たちが危険な目に遭う必要はない」
 「いいえ!これが我々の使命です!」
 彼はまた溜め息を吐く。
 「君たちには、苦しい思いをさせていると思っているよ。……私と弟、どちらを『法王』と信じて良いのか。どちらに真の忠誠を誓うべきなのか。相当、悩んでいるのだろうね……残念だが、私には君たちを導くための証拠が無い」
 「……」
 「だがね。君たちに死んで欲しくないという気持ちは、きっと弟も持っているよ。だからどうか……君たちこそ、逃げてくれないか?」
 「ですが……」
 ティクサと呼ばれた兵士は、俯いた。彼は、「法王」からこの館の「主賓」の警護を仰せつかっている。しかし、この「主賓」こそが「法王」なのではないかと、彼ら兵士の間では口には出せない話題となっていた。双子であることは顔を見れば解る。だから「法王」は自分の兄が「法王」として振舞おうとしていることに気付いてここに幽閉している、という説明はなされていた。だが……
 彼ら兵士の中には、この気性の穏やかな「主賓」の人柄を慕っている者たちも大勢居た。この、ティクサのように。マントの刺繍を目にするたびに、彼はなんともいわれぬ誇らしげな気分になるのだ。
 彼らは、「この人」を自由にしてやりたいとすら思っていた。だがそれは、「法王」に逆らうことになる。
 「……仕方ない」
 のんびりと、「主賓」はまた溜め息を吐く。
 「君が相当頑固なのも、この数年の付き合いで解っているよ。そうだね、では、こうしよう。私は、ここから動かない。けれど君は思うように動いて欲しい。部屋の外で侵入者と対峙するのも自由だし、ここに留まるのも自由だ。ただ私が、侵入者にも君にも死んで欲しくないと強く思っていることだけは、心に留めておいて欲しい。お願いするよ」
 「……」
 俯いたままの兵士は、やがて顔を上げた。
 「……では、私は私の思うように、やらせて頂きます」
 「うん。気を付けて」
 穏やかに微笑む「主賓」にエルレスの礼をして、兵士は部屋を出た。扉を背に、前方を睨む。やってくるのは、「法王」への反逆者だろうか。それとも「主賓」を「真の法王」と信じ奪還しようとする者たちであろうか。他の狙いを持つ者たちだろうか。何にせよ、「法王」にも、そして「法王」と瓜二つである「主賓」にも、危険が及ぶ。
 ティクサは大またに歩き出した。「主賓」の部屋の前に続く道は、この廊下しかない。
 誰にも、彼を傷つけさせるものか。彼にとっての、一番良い道を探すのだ。
 この、マントの刺繍に誓って。

 彼は騒がしい周囲に違和感を与える存在だった。静かに、優雅に、堂々と。廊下の真ん中を足音も無く歩く。一瞬、彼の姿に見惚れて動きを止める兵士も居るが、目を合わせないようすぐに俯いて行動を再開する。彼の邪魔にならぬように。関わってはいけない存在なのだ。昨日、あばらを折られた同僚の二の舞にはなりたくない。
 「……」
 楽しげな、微かな笑みが口の端に上る。何かを思いついたのか、何かを感じ取ったのか。
 す、と彼の足は方向を換えた。二階へ続く階段へ向かう。
 こっちに、居る。
 彼の中の何かが告げる。
 こっちに、居る。こっちの方が、面白そうだから。
 童女のようにあどけない笑みを浮かべながら、紫の光を宿す美しい黒髪の麗人は、階段に足をかけた。

 館の二階で、リディウスはジズの背を追って走る。こういうときですら自分の足の速さに合わせてくれている男の心遣いが、ありがたいような、申し訳無いような気分にさせる。
 「こっちです!」
 走る彼らの耳に、怒号に交じって呼ぶ声が聞こえた。老人たちの一人だ。
 「行くよ」
 「はい!」
 速度を増した男に必死についていくと、そこでは老人たちと一人の兵士が向かい合っていた。老人たちも一応剣やその他の武器を携えてはいるものの、その兵士の見事な剣捌きの前に、なす術がない。
 「怪我人が……!」
 数人の老人がそこらに蹲っていた。リディウスの顔からは血の気が引いたが、逆にジズは安堵の表情を見せる。
 「良かった、まだ誰も死んでないね」
 「新手か」
 兵士の低い声が、ジズとリディウスに向けられた。リディウスはシンに貰ったナイフを握り締めたが、彼を庇うように、ジズが前に進み出た。笑いながら、鞭を構える。
 「なかなかやるみたいだな、あんた」
 「……」
 兵士は腰を落とした。若い男が出てきたことで、一層警戒しているようだ。
 「ありがたいけど、何故誰も殺さない?」
 「……」
 兵士は黙っている。無視されちゃった、とジズが思ったとき、
 「……誰にも死んで欲しくないと、望む人が居る」
 低い声で、応えた。ジズは素直に嬉しく思う。律儀に応えてくれたのが、誰かさんに似ていて気に入った。
 「うん。俺もあんたを殺したくないな。退いてくんない?」
 「断る」
 にべもない返答も、益々気に入った。
 「でもなあ、俺が思うに、多分あんた、善い人なんだよなあ。俺たちの目的を聞いて……」
 「行くぞ!」
 ジズの言葉を遮り、兵士は一歩踏み出した。
 が、
 「聞いてよ、人の話」
 鞭がしなり、兵士の手元を打つ。
 「!!」
 それでも剣を取り落とさなかったのは流石と言うべきだが、
 「はい、ね?大人しくして」
 一瞬にして間合いを詰めた黒髪の男が彼の喉もとに短剣を突きつけて、身動きは封じられた。
 「……っ!」
 「大丈夫、殺さないよ。君のいう人のためにもね」
 「……」
 うなだれる兵士は、それでも老人たちが廊下を進もうとすると、目の色を変えて駆け出そうとした。不意をつかれてジズは彼の喉に一筋傷を付けてしまったが、慌てて取り押さえる。
 「離せっ!!離せぇっっ!!」
 「駄目だって……ちょ、ねえ!」
 「うおおおお!!!」
 「もぉ!!」
 暴れる兵士の背中の上に坐って、なんとか押さえ込む。
 「なあ、ちょっと聞いてってば。俺たちね、『真の法王』を助けに来たの。ここに、囚われてるんでしょ?」
 「……『真の』……」
 「そうだよ。ほら……あ、居た居た。ちょっと来て」
 ジズが視界の隅に捉え、呼んだのはキリヤだ。キリヤ老人の姿を見た兵士は、顔色を変える。
 「キ、キリヤ枢機卿……!?」
 悠然と彼らの前に現れた老人は、膝を折って視線をジズに合わせた。
 「どうなさった?」
 「俺たちの目的を言えばね、この人は分かってくれるんじゃないかと思っ……たんだけど、もう十分みたい」
 ジズは兵士の上から降りるが、兵士は暴れなかった。
 「それでは……本当に……『彼』は……」
 呆然とするのも束の間、兵士は立ち上がった。
 「私は、この館の『主賓』の警護を任せられている者だ。その使命は、果たさねばならない」
 老人たちは眉をひそめたが、
 「決して、『この廊下の突き当たりにある絵を外した先の小部屋』に賊どもを近づける訳にはいかない」
 そう言うと、兵士は館の出口の方へ歩き出した。マントに施された白い刺繍が、楽しげに笑うジズの前を翻って去っていった。

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