〜幕間・二〜 童顔―若作り―

 時は少し戻る。
 「あ〜あ。いっちゃった……」
 溜め息混じりに、女は呟いた。
 砂漠の王者・砂族。ここは彼らの船の甲板。
 強い風に豊かな黒髪を煽られながら、女は遥か彼方へ視線を遣る。もう見えはしないが、今しがた出て行った従兄弟たちが進んでいった方向だ。
 (大丈夫かしら、あのコたち)
 大雑把で不器用な娘に、世間知らずの坊や。二人とも根性はありそうだが、目標が目標だけに、というより、それが叶う見込みはほとんどないのが分かっているだけに、悲壮ですらある。
 それに……
 彼女が一番気に掛かっているのは、実は従兄弟のこと。
 確かに世渡りは器用かもしれない。まかり間違っても簡単に死ぬことはないだろう。しかし―――ある意味、あの娘に負けないくらい「不器用」なのを、彼女だけは知っている。
 「ここに居たのか」
 考え込む彼女の後ろから、低い男の声。彼女は笑いながら振り返った。
 「あら、探してくれたの?」
 「ああ」
 そこに居たのは、砂族の若き長・ギルバ。ちょっと訊きたいことがあってな、と続けようとする彼の声を遮って、女は勝手に喋り始める。
 「う〜ん、やっぱあたし、罪な女ね〜。まあイイ女だから仕方ないか。でも残念。あたし、浮気はしないの」
 「そういう意味じゃねえって!ていうか話を聞けよ」
 「はいはい」
 ころころと笑いながら、女―――ラシャ・シラタエはその場に坐った。
 「で、何を訊きたいの?」
 新婚生活についてなら喜んで答えてあげる、という彼女の言葉をなんとか無視しながら、ギルバもその近くに坐る。
 「その、ジズについてだが」
 「まあ!」
 大げさな動きで、ラシャは自分の口元に手を当てて驚いたふりをしてみせた。
 「族長ってば、シンくんだけでなくあいつにも気があったの!?あらいやん」
 「違えって!」
 「でもやめといた方がイイわよ〜?苦労するわよ?『俺小悪魔だからさ〜』とか言って」
 「……人の話をホントに聞いてくれよ」
 「はいはい」
 憔悴した様子が流石に可哀想になったのか、彼女は大人しく聞いてやることにした。
 「で、あいつの何を訊きたいの?あたしも何でも知ってるって訳じゃないけど」
 「……ああ。まあ、その、別にどうってことじゃないんだが……」
 ギルバはやや口篭もる。
 「あいつも、ラシャと同じ一族なんだろ?」
 「ええ、そうよ」
 彼女は察した。彼が何を訊きたいのか。
 「だったら、その、さ」
 「ええ」
 ラシャはにっこりと微笑む。時折みせる、寂しそうな微笑。
 「あいつも、結構な若作りよ」

 その日は、いっそ憎らしいほどの晴天だった。
 「ん〜、流石首都ね〜。人がゴミみたいに溢れてるわぁ」
 緩やかに波打つ黒髪を、高い位置で一まとめにして括っている少女は、くるくると踊るように「人ゴミ」をすり抜けていた。年の頃は13くらいだろうか。可憐な顔立ちと若々しくすらりと伸びた肢体に、自然と人の目が集まる。見た所旅人だが、連れは居ないようだ。子供、しかも少女が独りで旅をするのは危険だが、ここは首都。他所と比べて治安は良い。それに、この少女に手を出すのは自殺行為である。両の腰に差した剣は、伊達ではない。
 首都は今日、祭の準備で賑わっていた。教会の創立記念日だとかで、いつも以上に人が溢れている。少女も祭があると聞いてここにやってきた一人なのだが、人の多さに少々嫌気がさしたようだ。
 (あら?)
 人の少ない方を探して歩いていると、教会裏の墓地に着いた。そこに見知った後姿を認めて、彼女は足を止める。
 白い墓標の前で立ち尽くしているのは、少年だ。小さな体に不釣合いの長刀を腰に差している。年の頃は彼女と変わらない。彼女は足音を立てないよう気をつけながら、そっと彼の後ろに近づいた。近づいて確認すると、やはり彼女の知り合い。だが、鋭いはずのその人物は、彼女がすぐ後ろに立っていても気付いていない。彼女はにやりと笑って……
 「ジ〜ズ!」
 「わっ!?」
 気付かれていないのをいいことに、がばっと少年に抱きついた。少年は彼女より少し背が低いため、押さえ込まれそうになってバランスを崩す。
 「ラ、ラシャ姉ちゃん!?」
 「うふふっ、ご名答〜」
 こちらを振り返るあどけない少年は、彼女の従兄弟。
 「もぉ!びっくりするじゃないか」
 久々に逢う従兄弟は、そう言って笑う。まだ女の子と区別のつかない声で、ころころと。だが、その瞳だけは暗く沈んだ陰を宿している。ラシャはそれを見逃す人間ではない。彼女は、優しい。
 「……お知り合い?」
 少年を解放して、その見ていた墓標に視線を遣りながら問うと、彼は微笑みながら頷いた。ラシャと同じく高い位置で結った髪が、揺れる。
 「随分長いこと、付き合ってくれたんだ」
 「そう……」
 墓標に刻まれた文字から、その墓の主はつい三日ほど前に他界したことが分かる。
 「もしかして、ずっとここに居たの?」
 「ううん。彼のご家族がね、居たから。今日まで近寄れなかったんだ」
 石、投げられそうだから。そう言って自嘲気味に笑うが、勿論彼女は笑えない。
 ジズは墓に向かって片膝をつくと、愛しいものにするような手付きで墓を撫でる。実際、愛おしくて仕方が無いのだ。
 「なんで皆、いつも先に逝っちゃうかなあ……?」
 「ジズ……」
 彼女は悲痛な面持ちで彼の両肩に手を置いた。
 「もう、やめなさいよ」
 誰かと深く付き合うことを。置いて逝かれることが、分かっているのだから。
 「辛いだけよ。あんた前、十年も一緒に居た人にこっぴどくやられたじゃないの」
 彼を化け物だと罵り、或る日忽然と姿を消した同伴者の代わりに人買いがやってきた、ということがあった。大怪我を負って命からがら逃げたその日のことは、忘れるはずもあるまい。それ以前にも何度か似たようなことを経験していることだって、彼女は知っている。
 それなのに。
 「……でもね、ラシャ姉ちゃん」
 この小さな従兄弟は、誰かの側に居ることをやめようとしない。
 ジズは彼女を振り返る。壊れそうな危うい印象を与える笑顔で。
 「優しかったんだ。この人」
 いつだって鮮明に思い出せる。初めて出逢ったときは、「お前みたいな子供が一人じゃ危ねえよ」と言って旅の供を申し出てくれた。何かと世話を焼きたがる人だった。まるで本当の兄のように。暫くして自分の民族の特性について打ち明けても、彼は豪快に笑って受け入れてくれた。十数年が経つと・・・・・・・、今度は父のように接してくれた。やがて彼が伴侶を見つけ、定住を決めても、「手紙をよこせ」だのなんだの、兎に角気にかけていてくれたし、たまに遊びに行くと子供のように破顔して、旅の話をせがんできた。彼の淹れてくれたお茶を呑みながら、二人で旅していた時代のことを懐かしく話したりもしたものだ。彼の家族は、ジズのことを気味悪がっていたけれど。
 親友、だった。
 共に過ごした日々、交わした言葉、一緒に見た風景、頭を撫でてくれた武骨な手。其の全てを、覚えている。ずっと、覚えている。
 「出逢えて、良かったよ。一緒に居られて、嬉しかったよ」
 ただ、今は。今だけは……どうしようもなく、辛い。
 十年間、道中を共にした相手に売られるような真似をされたときも、これほど哀しくはなかった。数年後、再会したその者にいきなり斬りかかられたことも、そして逆に斬り捨ててしまったことも、哀しかったが、諦めはついた。
 「ジズ……」
 彼女からすれば、その生き方は見ていられない。裏切られても裏切られても、人に希望を持ち続ける。それが叶っても、こうやって別れが訪れる。
 いつか、壊れてしまいそうな気がする。この人は、優しいから。
 「ねえ」
 静かに微笑んだまま、彼は立ち上がった。あまりに穏やかな笑顔なので、彼女は彼の頬に伝う涙に気付くのが遅れた。
 「ラシャ姉ちゃん……俺、なんでこんな一族に生まれちゃったのかな」
 その時、教会の鐘が高らかに鳴り響いた。祭の始まりを告げる鐘だ。
 それが引き金となったのか、彼はその場に崩れ落ちた。
 微笑を維持できなくなった顔を隠すように俯き、己の細い肩を、掻き抱きながら。
 堪えきれなかった声は、鐘の音がかき消してくれた。
 「ジズ……!」
 本当に、見ていられなかった。
 跪き、彼の小さな体をぎゅっと抱きしめる。
 憎らしいほどの晴天だった。
 その空に、教会の鐘は鳴り響く。
 高らかに誇らしげに、生まれて100年目の産声を上げていた。
 
 「ラシャ?」
 「……え?」
 砂族の長の声で、ラシャは回想を終えた。
 「あ、ごめん。ぼ〜っとしてたわ」
 あの日の記憶は、彼女の心に焼き付いてはなれない。自分と共に行くことを遠慮した彼とは、その後も何度か遭遇した。だが、彼が泣いたのはあの日だけ。あとはいつも、笑っていた。いつも、独りで。……だから、もう、大丈夫だと思ったのに。「身内」以外に心を許すことも、大事に思うことも、ないだろうと思ったのに。
 なのに。あの子供たちを見る彼の目は……
 悲痛な思いを、その相手と同じく笑顔で誤魔化す彼女の横で、ギルバは神妙な顔をしている。
 「……まあ、いいが。ジズも、ラシャと同じ一族ってことは……」
 笑いながら、彼女の心の中は冷めていた。
 だから、何?改めてあたしたちのことを化け物とでも呼びたいの?
 だが、目の前の相手は思いも寄らぬことを云う。
 「退屈しのぎが最優先だろ?シンとリディウス、苦労するんじゃないか?」
 一瞬の沈黙の後。
 「は……あっはっはっはっはっはっ!!」
 彼女は腹を抱えて笑い転げた。
 「な、何だ!?ちょっ、どうした!?」
 「あははっ!……あはははは!!」
 そうだ。砂族は。強く、豪快で、おおらかなこの一族は。民族性でとやかく言うような、器の小さい者たちではない。
 現にこうやって、あたしと一緒に居るじゃないの!
 「お、おいってば!」
 砂漠の王は、笑いながらバシバシと肩を叩いてくる美女をどうしていいか分からず、うろたえるしかない。
 (なんでまあ、こんな……)
 お世辞にも上品とはいえない彼女の様子に、なんとなくがっくりしてしまうのにも理由がある。彼女が先々代の王、つまり彼の祖父と手を組んで役人と闘っていた姿を見て、幼い彼は彼女に憧れを抱いていた。なんと凛々しく、強く、美しいのだろうと。本でしか読んだことのない戦乙女とは、彼女のことを言うのだと。優しさと気品に溢れた微笑を、幼い彼はその胸に大切に抱きつづけたのである。
 だが……
 再会した彼女は、彼の抱いていた幻想を儚く、いっそ爽快に散らした。姿が当時と寸分違わぬ故に、余計に。当時、彼女と共に前線で戦った大人たちは、充分に彼女の、よく言えばお茶目な、もうちょっと素直に言えば困った性格を知っていたけれど、子供であった故に知らなかった彼のショックは……言葉にするのも不憫だ。
 「あはは……ああ、うふふ、ごめんごめん」
 彼の『戦乙女』は笑いすぎて涙を浮かべた目元を擦って、やや姿勢を正した。「ごめん」に二つの意味をこめて。
 「そうね、うふ、苦労するかもね」
 まだ笑いが収まらないらしい。肩を震わせている。
 「でも、本当に……」
 ラシャはすらりとした腕を伸ばすと、彼の金の髪を撫でた。22年前にそうしたように。
 「ありがとう、ギルバ」
 万感の思いを込めて、彼女は微笑んだ。
 その微笑は間違いなく、彼の心に残っている戦乙女のものだった。

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