次の日、例の医者を訪ねようとしたヤマダさんは、その医者が既に故人であることを知った。病院にも解剖記録は保管されていなかった。15年という歳月は、思ったより長い。更に、ツノダと共に当初この事件に当たっていた刑事からは「ほとんどツノダが単独で捜査していた上に、雑用を押し付けられて全然関らせてもらえなかった」との証言しか得られなかった。こうなると、ツノダ本人に問い合わせるしかないのだろうか。本当にツノダに後ろめたいことがあったとしたら、素直に訊いたところで答えてくれるとは思わないし、第一ヤマダさんは仲の良い同僚を信じたい。だが、疑わしければ調べてみる必要がある。
 ヤマダさんは、「また協力してくれ。上手い珈琲を奢る」とツノダに持ちかけ、数日後の14時に「喫茶 ルナ」で待ち合わせることにした。・・・そこは昔、ツノダとコンビを組んでいた頃に待ち合わせに使っていた店だ。ツノダは「ああ、あの店ね。懐かしいな」と屈託も無く了承してくれたが、そんな同僚を疑わねばならないヤマダさんの心は重い。
 
 そして其の日はやってきた。ヤマダさんの心とは反対に空は晴れている。
 「さて・・・」
 そろそろ「喫茶 ルナ」に向かうか。そう思った途端、ポケットから飛び出すように手帳が落っこちそうになった。慌てて受け止める。
 「どうした?」
 周りの目も気にせずに思わず語りかけてしまう。見たいときに元気良く出てくるのは常だったが、見る気もないのに飛び出すことは今までなかった。とりあえず手にしたからには条件反射的に開いてみる。
 「?」
 彼自身の字で、今日の予定に「14時 ツノダ ルナ」と書き込んである。ただ、彼は黒のボールペンで書き込んだはずだったが、何故か赤い文字に変わっている。
 (どういうことだ・・・?)
 それは月別予定表だったが、気になって週別の方も見てみる。
 (な・・・!?)
 書き込んだ覚えのないそこには、彼の筆跡で、赤い文字で今日の予定がより詳しく書き込まれていた。
 『14時 喫茶ルナ ツノダと待ち合わせ』
 それは確かに今日の予定だ。だが、その下には更に予定もしていない予定が書き込まれている。
 『15時28分 廃工場 ツノダと』
 そして。
 『15時37分 廃工場にて死亡』
 「!!何なんだ!!?」
 思わず叫ぶ彼を、周りが不思議そうに見ている。ヤマダさんは急いでその場を離れ、街へ、「喫茶 ルナ」に向かうために地下鉄に乗った。その間、ずっと手帳は手にしたままだ。
 (廃工場?死亡?どういうことだ?)
 タダでさえ不思議な手帳だけに、馬鹿馬鹿しい、と一笑に付す訳にも行かず、感じる不安は計り知れない。そのまま文面通りに解釈すると、ツノダと「喫茶 ルナ」で待ち合わせの後、二人で廃工場に向かい、そして15時37分に・・・冗談じゃない。だが、この手帳が自分を騙しているとは思えない。不思議なものだが、この手帳を疑えない。それは自分を裏切るようなものだと、心のどこかでわかっている。
 (どうすれば・・・いや、まだ決まった訳じゃない・・・?)
 手帳の予定表に書き込むのは、飽くまで予定。この手帳は、自分に警告をしているのか?
 考えている間に地下鉄は目的地に到着した。平日の13時過ぎだけあって、それほど人は多くない。だからヤマダさんは、気も使わずに全力疾走した。歳に似合わずまだまだ速い速度で街を横切り、「喫茶 ルナ」を通り過ぎ、数軒先の店の横の小道から裏に回った。しかし
 (やはり無いか・・・)
 求めていた店は、孤狐堂は、ない。あの店主なら、こういう事態はどうしたことなのか教えてくれると思ったのだが・・・
 仕方がない。ヤマダさんは荒い呼吸を整えて、ゆっくりと「喫茶 ルナ」に向かった。
 「いらっしゃい」
 相変わらず愛想の無いマスターと、何も音楽が流れていない店内。しかし客はちらほら居る。ヤマダさんはカウンターに座った。まだ14時には時間がある。珈琲を頼み、彼はまた手帳を開いた。
 『15時37分 廃工場にて死亡』
 消えていれば良い、と思っていたが、その記述はやはりそこにある。溜め息が零れた。

 「お待たせ」
 14時を少し廻ったところで、ツノダが来た。昔と変わらずに美味い珈琲を味わっていたヤマダさんの横に座り、自分も珈琲を頼む。コートを脱いで膝の上に置くのを見届けてから、ヤマダさんは声を掛けた。
 「すまないな、ここまで呼び出して」
 「いいや。いつものトコで缶コーヒー漬けより、ずっと気が利いてる。珍しいな、お前にしては」
 「酷い言い様だな」
 「ははは」
 程なく、ツノダの珈琲も差し出された。一口飲み、「ああ、やっぱりココのは美味いねえ」と満足げなツノダを見ながら、ヤマダさんの心は沈んでいく。
 これから、気心の知れた同僚にとても訊き難いことを訊かねばならない。
 「で?ヤマダ、今日は何が訊きたいんだ?」
 相手は何時も通りの態度でこちらを見ている。
 「・・・あのな、ツノダ。訊きたいことがあるんだ・・・」
 重い心を抱え、ヤマダさんはやっと口を開いた。
 「だから、何を?」
 「・・・サトナカを殺った銃弾の事だ」
 「ん?それは不明だったろ?」
 「・・・本当に、か?」
 「・・・何言ってるんだ。資料を見たろ?」
 怪訝そうな顔をするツノダ。益々ヤマダさんの気は沈む。
 「それが・・・摘出された弾を見たと言う者が居るんだ」
 「!?」
 ツノダは目を見開いた。そのままヤマダさんを凝視する。ヤマダさんはその視線に、あえて向きあった。逃げる訳には、いかない。
 「・・・誰だ?」
 先に口を開いたのはツノダだった。視線は逸らさない。
 「それは言えない」
 「おい!重要な事だ!」
 ツノダが声を荒げる。店のマスターがじろりとこちらを見るのに気付いて、ツノダは慌てて頭を下げた。
 「・・・ツノダ、本当のことを言ってくれ」
 「本当に知らん。それに・・・」
 ツノダは自分の膝の上のコートに視線を落としていたが、急に言葉を止めて、にやりと笑った。その笑みに薄ら寒いものを覚えて、ヤマダさんは緊張する。
 「・・・ヤマダ。実は俺も気になることがあってな・・・ちょっと付き合ってくれ」
 「ツノダ・・・!」
 「いいだろ?頼むよ」
 不敵に笑うツノダ。その言葉に従うことは、とても危険な事に思えた。だが・・・
 「・・・分かった。いいだろう」
 「流石。話が分かるな」
 くっくっ、と笑い、ツノダは残りの珈琲を飲み干した。
 とても危険な事だとは思う。だが、前に進む為には、これしかないようにも思う。

 暫くして、二人は店を出て地下鉄に乗った。ツノダは連れて行きたい場所が在ると言ったきり、にやにやと笑って何処に行くのかは教えてくれない。不安は募るばかりだ。
 (・・・)
 手帳を開く。そこには例の文面が変わらず赤文字で記されている。時計を見ると、15時になろうかというところだった。
 15時03分。二人は地下鉄の改札を出た。そこは、この件の調査で何度か来た町だった。ツノダに従い、暫く歩く。そして二人は、人気の無い路地を通り抜け、少し開けた場所に出た。
 時刻は15時28分。二人の前に在ったのは、廃工場だった。ヤマダさんの背筋に寒いものが走るが、ツノダの後に付いて足を踏み入れる。
 「なあヤマダ。懐かしいだろ?ここは、お前らが追っていたチンピラが発見された場所だ」
 「・・・」
 確かに、そこは例の被疑者が何者かに撃たれ、倒れていたところを発見された場所だ。
 15時31分
 二人は被疑者が倒れていた場所に立つ。
 「仏さん、銃を持っていなかったよな?」
 「・・・ああ」
 「死体から、弾も出なかったな」
 「ああ」
 ツノダはコートの襟を立てると、芝居がかった態度で言う。
 「それで、だ。この現場に弾が残されているんじゃないかと思ってな。俺たちも必死で捜査したんだが・・・見つからなかった、てことになってるな?」
 「・・・ツノダ・・・」
 「でも、もし。実は俺が見つけてこっそり持ってたとしたら、お前、どう思う?」
 15時32分
 「ツノダ・・・!!」
 「まあ聞けよ」
 飛び掛りそうな勢いのヤマダさんを諌めて、ツノダは続ける。少しずつ見通しの良い方へ移動しているのが少し気に掛かったが、ついていく。
 「で、それがちょっとヤバイものだったら、とか、考えてみろ」
 15時33分
 「真面目で優しい俺としては、信じたくないものだったりしてなあ。だから隠したり、な」
 「・・・何を言ってるんだ?お前は、持っているのか?サトナカの弾は・・・」
 「だから聞けって。その弾が、結構見慣れたものだったら、お前どう思う?」
 「見慣れた、弾・・・?」
 「そ。いつも持ってるようなものだったら、どう思う?」
 「・・・何、を・・・」
 15時34分
 「やっぱり、身内は疑いたくないよな。今のお前なら、分かるだろ」
 「・・・待て。お前、何を言っている?自分の疑いを誰かになすりつけようとしているのか?」
 「珍しいなあ。冷静で刑事の鑑みたいなお前が、こんなことに気付かないなんてな。・・・やっぱ、自分が関った事件だと冷静にもなれないか?時効も近いしな」
 「どういうことだ?」
 15時35分
 「誰かは・・・もうすぐ分かるかもしれないが、どうして担当の俺以外のヤツが、ちょっと見の、それも15年も前の資料を覚えてるんだ?」
 「それは・・・有り得んことでは、ないだろう?」
 「そりゃそうかも知れないが。撃たれて何日も意識不明だったお前は知らなくて当然だが、サトナカの遺体は、どうみたって綺麗に弾が貫通してたよ」
 「・・・信じろというのか?」
 「疑うよりは楽だろ?」
 15時36分
 「はっきり言おう。俺は今、お前を疑うべきか助言者を疑うべきか、分からん。だが、もし証拠の隠滅があったとしたら、一番疑わしいのは・・・お前なんだ」
 「だろうな。証拠が綺麗に無いから、なんかヘンだと思ってなるべく独りで捜査してたんだが、それが却って仇になったな・・・っと」
 そう言うとツノダは何気なく胸元に手を突っ込んだ。あまりの何気なさに煙草でも取り出すのかと思ったら、ツノダの手には拳銃が握られていた。
 「!!」
 15時37分
 「ヤマダ!!伏せろ!!」
 「!!?」
 硬直していたヤマダさんは、ツノダの警告にも一瞬動けなかった。だがその時、胸元から急に手帳が飛び出し、それにつられてヤマダさんの体が動いた。その場に伏せる。直後、頭上を二発分の銃声が木霊した。
 「な・・・!?」
 目の前に、肩を抑えてうずくまるツノダ。恐る恐る後ろを振り返ると、そこには・・・
 「は、ハヤシ君!!?」
 少し離れたところに大の字になって、ハヤシ刑事が倒れている。
 「・・・っ!!痛え・・・!おい、ヤマダ、そいつ、死んだか!?」
 後ろでツノダが息も絶え絶えに言うのを聞いて、ヤマダさんは我に帰った。胸ポケットに手帳をしまいつつ、急いでハヤシ刑事に近寄ってみると、こめかみのあたりに火傷のような跡があり、口から泡を吹いていた。
 「いや・・・気絶してるだけみたいだ」
 「ふんじばっとけ!!」
 訳も分からないまま、ヤマダさんはハヤシ刑事を近くの柱まで引きずって手錠で固定し、ツノダの元へ駆け寄った。肩口から血が流れている。
 「おい!大丈夫か!?」
 「死んじゃあないが・・・ったたたた・・・」
 「すぐ救急車を呼ぶ。応援も」
 「頼むぞ」
 ヤマダさんは携帯で同僚と救急車を呼んだ。すぐに駆けつけてくれるだろう。
 「・・・お前は、潔白だったのか」
 ツノダの横に並んで座り込み、ヤマダさんは溜め息をついた。
 「どうみたって、俺は清廉潔白だ」
 「・・・」
 「突っ込めよ」
 「あ?ああ、すまん」
 まったく・・・と肩をすくめ、傷が痛んだツノダは顔をしかめながら自分のコートを脱いで見せた。
 「ほら、ココ・・・見ろよ」
 指し示された襟の裏側には、小さな機械。
 「・・・盗聴器か。発信機付きだな」
 「ああ。・・・しかし、ハヤシは何なんだ?あの件にどんなかかわり方をしてるんだ?」
 「さあ。だが、吐かせてやる。・・・しかしお前の言う通り、俺もどうにかしてたな。やっと見つけた手がかりだと思って、喰いついてしまった。・・・すまん」
 「・・・ああ!全くだ!!お前に付き合うとロクな事がない!昔から!」
 「そうか・・・すまん」
 「・・・反論してくれよ」
 「あ?すまん」
 「もういいって!!・・・お前もつらかったろ」
 「・・・」
 サイレンの音が近づいてきた。ツノダに肩を貸して、二人は工場を出る。
 「ハヤシが全部吐いたら、サトナカの墓に報告に行くか」
 「ああ」
 同僚にハヤシの居る場所を教え、ヤマダさんはツノダを救急車に乗せた。
 「もうすぐ定年だってのに、ハデな事しちまったな。・・・おい、ヤマダ」
 「なんだ?」
 「引退後は、バドミントンに付き合え。週に1回はやるぞ」
 「・・・いいだろう。俺の将棋にも付き合え」
 「了解」
 そしてツノダを乗せた救急車は去っていき、ハヤシを乗せたパトカーもその場を去る。ヤマダさんはこれから忙しくなることを予感しながら、ふと気付いて手帳を取り出して開いた。
 「・・・はは」
 開いたページを見たヤマダさんは、苦笑した。そこには、黒い文字で
 『15時37分 一件落着』
 と大きく書かれていた。
 
 その後、ハヤシは全てを白状した。15年前、チンピラに銃を横流ししたのは自分で、それがばれると困るのでヤマダさんたちを撃ったこと、口封じの為そのチンピラも殺したこと、証拠を隠したこと、ヤマダさんが再調査を始めたので焦って嘘の情報を流しツノダに疑いを向けようとしたこと、そして当初から内部に関係者が居ると見ていたツノダを警戒し、ヤマダさんと待ち合わせをする日を狙って盗聴器をしかけ追跡したこと、そこで殺そうとしたこと、など。
 「あ〜あ、イヤだねえ。後味が悪い」
 すっかり元気になって退院したツノダが、事件の報告書を眺めるヤマダさんの横で呟いた。
 「・・・ああ。でも、サトナカには顔向けが出来る」
 「ああ」
 サトナカの墓にも、その両親にも報告は済ませた。長い、15年だった。
 「そういえばお前、工場で『身内を疑いたくない』とか『弾を見つけた』とか言っていたな?どの程度まで知っていたんだ?弾は?」
 ヤマダさんは気になっていたことを訊いてみた。ツノダは、あっけらかんと答える。
 「何もちっとも知らなかった。ま、証拠が無いから身内になんかあんのかな、とは思って単独捜査したのはホントだが。弾は本当に見つからなかったし、持ってるわけないだろ〜。そんなの規律違反だ」
 「・・・では、何故?」
 「喫茶店で、コートに盗聴器が付いてるのに気付いてな。警察で使うタイプだったから、やっぱり身内が一枚噛んでんのかなあ、だったらこの際『俺は全部知ってるぞ〜』って振りをすればのこのこ出てくるんじゃないかなあ、と・・・ま、だからあてずっぽさ。第一、『見慣れた弾』なんてある訳ないだろ?どれを見たって同じに見えるね、俺は」
 「・・・ははは・・・」
 ヤマダさんの口から乾いた笑いが漏れた。昔から、何事にも地道に取り組み評価されてきたヤマダさんと正反対で、この男は失敗するのも成功するのも派手なのだ。

 
 孤狐堂・店内。
 柔らかな灯りの中、狐目の主人はのんびりお茶を呑み、幸せそうに羊羹を頬張っていた。目の前には、どう考えてもそこに存在できるはずのない大きさの棚が。そこに並ぶのは、色とりどりの大きさも重さもそれぞれの、手帳。数千、数万、数億・・・その数は知れない。数多の、誰かの半身。
 「ふふっ、皆も早く逢いたい?君たちの素敵な人に」
 音に聞こえる返事はない。だが、主人はにこにこと頷いた。
 「うん、いつかきっと、逢えるからね。それまでは僕と暮らしておくれ」
 音に聞こえる返事は、やはりない。だが、主人は微妙な顔をした。
 「だって・・・嬉しいけど寂しいんだよ?お嫁に出すの」
 主人はしょぼんと肩を落として、お茶を一口、呑んだ。大きく、ほう、とついた息には溜め息が混じっていた。
 

―――完―――

●後書き●
 書くつもりはない、と思っていたのに書いてしまいました;孤狐堂でございます。楽しんでいただけたのなら光栄ですが・・・無理ですね;精進します;
 私が好きな文具(?)の一つが手帳(万年筆は「いつか持ってやる!」という憧れです)。好きっちうても「ケータイより愛してる!予定はやっぱ手帳だろ!手帳は常に携帯だろ!」という程度のものですが;毎年買い替えの時期になるとわくわくして。・・・だから書き始めちゃったんですけどね〜;
 今回、手帳はあんまり出番はありません。ヤマダさんの事件が中心になっちゃいました。話の内容も二転三転して;ホントはツノダが単純に悪者だったのですよ〜;でも書いてると「ツノダさんはもしかしてカッコ良いんじゃないかしら?」と思い始めて。そんなもんです、私の文章なんて。ごめんハヤシ君。(当初、もっと若くて犬みたいにヤマダさんを慕ってる後輩で、最後ツノダに殺されそうになったヤマダさんを助けにくる役のはずでした。・・・って、どちらにせよヤマダさんヒロイン状態(笑))
 今回は定年間近の刑事のおじさまが主人公だったので、前回の中学生二人とは考えることも、孤狐堂の主人の対応も違ったものにしたつもりです。・・・出来てるかな???(汗)

 では、本日の営業は終了致します。ここまで読んで下さった方、どうもありがとう御座いましたv感想など頂けると嬉しいですvお目汚し失礼致しました〜;

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