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 力が入らない。泣こうとは思わない。何もしたくないし、考えたくない。
 タツヤは暗い部屋の隅で、膝を抱えてうずくまっていた。目だけが冴える。ヒトミの部屋から零れる明かりが、窓越しに床をぼんやりと照らしていた。
 「・・・」
 その明かりから逃げたくて、膝に顔を埋める。視界が暗くなった分、今度は頭が動き出す。考えたくないのに、勝手に思考は働く。それを止めるのも面倒で、ぼんやりと幼馴染の事を考えることにした。
 (何で言わなかったんだよ・・・)
 言えない性格なのはよく分かっている。
 (もうすぐじゃねえか、引越し。・・・オレ、何で気付かなかったんだ?アホじゃねえか)
 自分に腹が立ってくる。思い返せば、あの夜の哀しげな微笑から気にはなっていたのだ。でも考えるのが怖くて、逃げた。あの時、すぐにでも問いただせば良かったのだ。そうすれば・・・
 (そうすれば?)
 どうだったというのだろう。心の準備が出来た?哀しみが長引くだけだった?・・・最早、そんな事は関係ない。アイツは行ってしまう。それだけが真実だ。
 (どうする?どうすればいい?)
 残された時間は少ない。それをどう使うか、それが問題だ。タツヤの瞳に、光が甦ってきた。
 その時―――
 コトリ。
 「?」
 微かな物音に気付いた。机の方だ。何か落ちたのだろうと思い、タツヤはゆっくりと立ち上がって机に近寄る。
 「あ・・・」
 机から転がり落ち、床に転がっていたもの。それは、使いこんで飴色に変わってきた、彼だけの為の万年筆だった。
 「・・・そうだ!」
 閃いた。彼は机の引出しをごそごそとやると、奥から万年筆の入っていた木箱を見つけ出した。一瞬だけ万年筆を愛おしげに見つめた後、木箱に収める。
 それを握り締め、タツヤは窓を開けた。床に転がっていたゴムボールを空いた手で拾い上げると、軽くヒトミの部屋の窓にぶつける。ボールが跳ね返ってまた自分の部屋に飛び込んでくるのと、ヒトミが鍵を開けるのはほぼ同時だった。
 「どうしたの?タツ・・・」
 「おい!ヒトミ!」
 ヒトミの言葉も待ちきれず、タツヤは自分の考えに瞳を輝かせながら手を突き出した。万年筆を持った手を、である。
 「な、何?」
 「これ、やる」
 「え・・・!?」
 それは、片割れ。自分もあの不思議な店で一緒にもらったのだ、ヒトミにはそれがかけがえの無いものである事がよく分かる。
 「でも、これは」
 「いいから、受け取れ」
 更に前に腕を突き出す。
 「その代わり・・・お前のをオレに、くれ」
 「え・・・?」
 さっきからどうしたんだろう、タツヤくん。驚くヒトミを見ながら、タツヤははっきりと言葉を紡いだ。
 「よく考えたら、お前が向こうに行ったって、一生会えない訳じゃないもんな。その間、コイツを・・・お前に預けようと思ったんだ」
 それが、タツヤの選択。自分でもそれがスゴイ思いつきだと思うし、それ以外ないとも思う。自分の半身をお互いに預け合う・・・少女趣味で虚しい気休めかもしれないが、何故だかタツヤにはそれが最良に思われた。
 「!!・・・タツヤくん、知ってたの・・・?」
 さっと青ざめる彼女に、頷く。
 「たった今、だけどな」
 「・・・黙ってて、ごめんなさい」
 俯いてしまう彼女だが、何かを決意したのか、毅然と顔を上げる。
 「待ってて、私もすぐ用意するから!」
 そう言って一旦部屋に引っ込むと、一分もしないうちに慌ただしく顔を出した。
 「この子・・・預けます」
 ヒトミの手に、白木の箱が乗っている。
 「ああ。・・・コイツも、宜しく頼む」
 窓と窓の間で、二つの箱が交換された。胸の痛みを覚えつつ、二人は預かった相手の半身を握り締める。
 「また、会える日まで。大切にするね」
 「バーカ。引越しまでまだあるだろ」
 「・・・うん!」
 そう言ってヒトミはにっこりと笑った。一粒だけ、涙が零れて落ちていった。

 やがて卒業式も終わり、ヒトミの引越しの日になった。フルカワ家も家族総出で手伝いをし、荷物は全て積み終えた。残るは、フタバ一家のみ。親たちが別れの挨拶をする間、タツヤとヒトミは少し離れた場所で再会を誓っていた。
 「今度会えるのは、何時だろうな」
 「きっとすぐだよ。そんなに、離れてる訳じゃないもん」
 それは嘘だが、二人にとっては真実だ。
 「まあ、少なくとも夏休みにはそっちに行く」
 「大丈夫?」
 「高校生だぜ?バイトするよ。何とかなるだろ」
 「うん。・・・じゃあ、冬休みは私がこっちに戻るね」
 「・・・大丈夫かよ!?」
 「・・・そのリアクション、ちょっと傷つく・・・」
 やがて、別れの時間がやってきた。しばしの別れだと、二人は信じて疑わない。
 「手紙、書くね」
 「ああ。待ってる」
 笑顔で見送り、見送られる。ポケットにそれぞれの万年筆を忍ばせ、何時までもお互いに手を振りながら。

 隣人が去って、二、三日後。また会えると信じつつも、タツヤの胸にはぽっかりと大きな穴が空いていた。その日もぶらぶらと友人たちの家を渡り歩き、皆に「妻に逃げられた夫みたいだ」とからかわれたり、妙に慰められたり。何となく気不味くて友人たちと別れたが、別にすることも無いので夕方には家に帰り着いた。
 「ただいまー・・・ん?」
 玄関に、見慣れぬ靴が並んでいる。お客さんだろうか。邪魔にならないようにこっそり二階に上がろう、と静かに靴を脱いでいると、居間から母の声が飛んできた。どこかしら困惑気味である。
 「タツヤ、ちょっと来なさい」
 何だろう。学校関係者だろうか?別に悪いコトをした覚えはないのだが。親戚だろうか?そっちの方が嬉しいが。―――色々考えつつ居間に行くと、そこには両親とスーツ姿の中年が二人。見覚えは、無い。
 「今日は」
 とりあえず挨拶。男たちも頭を下げる。テーブルの上に、色々書類が乗っていた。
 「あのね、タツヤ・・・こちらの方たちが、あなたにお話があるって・・・」
 「初めまして、タツヤ君」
 母に視線を向けられ、男の一人が立ち上がって握手を求めてきた。このような対応に慣れていないタツヤは、戸惑いながら握手に応じる。
 「は、はあ・・・」
 「私は、静真学園のヤベと申します。宜しく」
 「え!!?・・・あ、いや、ヨロシク、お願いします・・・」
 タツヤは耳を疑った。『静真学園』とは、学業もスポーツも盛んな名門校である。しかしそれより、タツヤにはもっと重要な意味を持つ学校だった。・・・ヒトミが、入学予定の学校なのである。
 (何だ!?ヒトミがどうかしたのか!?事故か!?いや待てそれでオレに学校から連絡がくる筈がないだろ?)
 ぐるぐると頭の中で考えが巡っていく。それに気付かず、男は話を続ける。
 「去年の大会のビデオを偶然観て、素晴らしい選手がいるものだと感心してね・・・」
 (まさか・・・非行!?いやいやいやヒトミに限ってそんな事は)
 「探すのに苦労したよ。まさか大会のみの助っ人部員だとは思わなかったのでね。あれほどの素晴らしいプレー、ちゃんとした部員でも出来るものじゃない」
 (てことは、何らかの事件に巻き込まれた、とか・・・?待て、そんなコトは・・・いやしかしアイツはどう転んだって加害者より被害者だろ?いやでもしかし)
 「寮はあるよ。学費もウチで持つ事になっているし・・・どうだろう、タツヤ君?」
 「は、はい!?」
 このままだと勝手に泣き出しそうなタツヤは、男にじっと見つめられているのに気付いた。
 「悪い条件じゃあないと思う。ウチに、特待奨学生として来て欲しいんだ」
 「・・・はい?」
 男はにっこりと笑った。
 「ウチのサッカー部は、インターハイでも1,2を争う。君のレベルに相応しいと思うけれど?」
 「え・・・あ、あの、でも・・」
 思いもかけない方向に話が行っている。ヒトミ関係ではないのが分かってほっとしたが、いきなりのスカウトだ。助けを求めるように視線を両親に向けると、母はやや困惑気味だったが、父は真っ直ぐにタツヤを見つめ返して、一言だけ言った。
 「良かったな、タツヤ」
 ヒトミが静真学園に行くことを教えてくれたのは、この父だった。

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 孤狐堂・店内。
 穏やかな明かりの中、主人は茶をすすっていた。目の前に、店の中に入る筈が無いほど巨大な棚がある。埃っぽいその棚には、何千・何万・・・いや、何億だろうか。それ程膨大な数の小さな細長い箱が並んでいた。それは数多の、誰かの為だけに生まれたものたち。
 「あのコたちは、幸せかな」
 主人がぼそりと呟く。中学生の二人に渡したあのコたちは、元気だろうか?
 「君たちも、早く巡り逢えると良いねえ」
 にっこりと、その細い目を更に細くして棚の方に微笑みかける。
 「運命の相手に。・・・そうしたら」
 巡り逢えたら。結ばれたら。
 「その絆は、永遠になる」
 永遠にして、絶対。誰にも、何にも、断ち切る事は出来ない。
 「ずうっと、一緒になれるんだ。・・・浪漫ちっくだねえ」
 主人は一気に茶の残りを飲み干すと、ほう、とひとつ大きく息をついた。

 

――― 完 ―――

〜〜〜〜後書きというか言い訳〜〜〜〜
 これはある日突然思いつきで始め(てしまっ)た、日記での連載小説です。途中、サーバーのトラブルかな?で日記が使えなくなったので今ここに無理やり完結。・・・未熟っぷり際立つ仕上がりかと(泣)。タイトルも今無理やり付けたのですが、別に「孤狐堂謹製〜」シリーズ化の予定は微塵もないんで安心パパ。
 私にしては珍しくギャグでもなくバッドエンドでもなく死人も無く(おい)、平和に終わったかと・・・感想など頂けたらおいちゃん涙ちょちょぎれちゃうんですが(厚かましい)。

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